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続々々・理性の崩壊と国民主権

秋刀魚(さんま)が食べたくなる話。

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 みなさん、おはようございます!秋といえば「食欲の秋」なのですが、秋刀魚が上手いですね。で、一緒に大根おろしが添えられているとなお美味いですよね。私は二日に一回は必ずと言っていいほど大根を食べます。多いときは毎食です。

 さんま定食
 http://www.enjoytokyo.jp/id/minamimachi/124582.htmlより

 魚で言えば他にも鯖(サバ)なども美味いですが、これらの魚を食べるときには大根おろしが魚の脂を中和して、さつぱり頂く事ができよく合います。栄養学的に言えば、大根のジアスターゼという酵素が過剰なたんぱく質を分解する性質があるからだといわれています。

 他には、大根はおろし金でおろすことで、「ミロシナーゼ」という酵素が増加し、そのミロシナーゼの働きで「アリルイソシアネート」という辛味の成分が作られるそうです。これが、血管内の血栓を溶かす性質があり、がん細胞の発生を抑制してくれるそうです。

 そこまで現代科学で判つてきているなら、なおさら大根も含めて國内産の野菜を出来る限り食べるように、もつと国家的に取り組むべきなのではないか、と思います。がんを抑制すると言われる野菜は豊富にあるのですから、がんになつてから使う薬の心配ばかりに国の予算を使うより、如何にしてがんにならないような食生活、食育、自立農業をすればいいのかを、優先的に考えて欲しいものです。

 手前味噌のようで恐縮しますが、我が國の食べ物の安全と食文化防衛に関するホームページもやっています。ほぼおしゃかさん(ブログ:食べ物幕府主宰)のご尽力によって歳徳会は運営維持されています。
 (参考サイト:歳徳会〜日本の食文化の再興と食の安全を考える会〜
 http://www.saitokukai.com/
 歳徳会では純国産の食材や食品の情報が満載です。是非ともご活用頂ければと思います。

 しかし、大根と言うのは不思議な野菜で、食べ物の陰陽で言えば、生で食べると「陰」で、加熱して食べると「陽」になるそうです。という事は、肉や魚などの「陽」の食べ物を食べるときに大根が生で添えられていることは、陰と陽のバランスを保つのに最善の組み合わせなのだということですね。

 さらには、大根の旬は7月〜8月、11月〜3月と、真夏や真冬の時期に合わせて旬の時期が来るようになっています。そして冬といえば「おでん」ですね。大根は加熱すると「陽」になりますから、寒い冬に身体を温めるにも最適な食材なんですね。かなり鍋好きな私にとっても(毎日鍋でも可)、日本の食卓にとっても本当に有り難い自然の恵みです。

 ちなみに、大根は肉や魚の毒素(過剰なたんぱく質など)を消化する成分で、腸内の腐敗を防ぐ効果もあるといわれていますが、「大根役者」という言葉の語源は、大根の効能によって滅多に「食あたりしない」という事で、「当たらない役者」と言う意味で使われだした、という説もあるそうです。大根役者だけに「毒気」が少なくて、脇役の脇役など「何にでも合わせ易くて、毎日食べてても害が少ない」という事でしょうか。

 他に秋野菜と言えば「茄子(ナス)」でしょうか。

 そういえば、秋茄子は嫁に食わせるな、という諺のような言葉が我が國にはありますが、その理由として代表的な説が3つあるのだそうです。

 1、すごく美味いものなので、嫁には食べさせたくない、という姑の「嫁いびり」

 2、茄子は食養でいう「陰」の食べ物だから、身体を冷やす作用があって、大事な嫁の身体を冷やしてはいけないので嫁には食べさせない

 3、秋茄子は、種子が小さくなっているので、子種がなくなる

 迷信的な意味合いが強いようですね。現代の栄養学で言うと、やはり栄養価は高く、健康的な食べ物であることに疑いはないようですが、東洋の陰陽論で考えたとして、要するに「美味いからって、そればかり食べ過ぎるのは駄目だ」、「良い思いばかりしていたら、後で苦労するぞ」というような、戒めのような意味合いなのだろうと思います。このあたりは色々な解釈があって良いと思いますし、我が國の食文化はそういう所も面白いですね。

 なぜ、こんな話をするのかと言いますと、このような我が國の食文化を日々の食卓から実践することによって、自然に家族の健康を護る、国家の健康を護る、そして國體護持することにつながって行くからです。私が従来より持論としてきました、「食の自立は国家の自存自衛の要である」という事です。

 その理由はいたってシンプルで分かりやすい事で、何も軍事力だけが国家を護る手段ではなく、むしろ、食の自立、独立が出来ない国家の辿る運命は、いくら軍事力を誇っていても消滅する運命にあります。それは、旧ソ連という強大な軍事国家が消滅したという歴史でも証明されていることです。

 非常に強力な兵器と、すばらしい精鋭部隊、高尚な理念と綿密な戦略、これらは確かに国防においては有用な手段なのだとは思います。しかし、これらがいくら見事に準備されていたとしても、それらを活用・実行する人間は、当然、食糧(兵站)がなければ、強力な兵器を残してその軍隊は全滅します。

 (また長くなりそうなので次回に続く)

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続々・理性の崩壊と国民主権

国民主権の毒素を中和させましょう!

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 皆様こんにちは!いつもありがとうございます。

 私はこれまで、偉そうに様々な政治的な記事をUPしてまいりましたが、ここ最近になってやっと、もっとも重要な本質である國體護持(こくたいごじ、国体護持)は、理屈ではなく実践だという事を何度も何度も教えて頂き、自宅の一画を自分自身で聖なる場所と決めて、先祖父母兄弟友に感謝の意を念ずる事はもちろんの事、出来る事から毎日実践するように心がけています。

 私は若いころの生活環境の影響もあって、元々はそんなに信心深い人間ではありませんでしたので、正月に神社へお参りに行くぐらいで、神事には非常に疎い方でした。これからもまだまだ勉強して、実践に移して行かねばならない事が沢山あるのですが、まず出来る事からという事で、身近で分かりやすいものとしては、やはり教育勅語が有名でありますので、観念だけでなく、せめてまず実際に暗唱ぐらいできるようにと、繰り返し唱えるようにしています。

 分かり易く読みやすいように、漢字は本字ではなく略字(俗字)、正統仮名遣いではなく占領仮名遣い(現代仮名遣い)で表記しています。私もまだすらすらと出てくるまでには至っていませんが、皆様もどうぞ暗唱から始めて、実践に移してみてはいかがでしょうか。

 (覚えているそのまま書きましたので、間違っている所がありましたらご指摘ください。)

 教育に関する勅語(きょういくにかんするちょくご)

 朕惟うに我が皇祖皇宗、国を肇ること宏遠に、徳を樹つること深厚なり

 (ちんおもうに、わがこうそこうそう、くにをはじむることこうえんに、とくをたつることしんこうなり)

 我が臣民、克く忠に克く孝に、億兆心を一にして、世々厥の美を済せるは、これ我が国体の精華にして、教育の淵源、亦実に此に存す

 (わがしんみん、よくちゅうによくこうに、おくちょうこころをいつにして、よよそのびをなせるは、これわがこくたいのせいかにして、きょういくのえんげん、またじつにここにそんす)

 爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以って知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益をを広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に従い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし

 (なんじしんみん、ふぼにこうに、けいていにゆうに、ふうふあいわし、ほうゆうあいしんじ、きょうけんおのれをじし、はくあいしゅうにおよぼし、がくをおさめ、ぎょうをならい、もってちのうをけいはつし、とっきをじょうじゅし、すすんでこうえきをひろめ、せいむをひらき、つねにこっけんをおもんじ、こくほうにしたがい、いったんかんきゅうあればぎゆうこうにほうじ、もっててんじょうむきゅうのこううんをふよくすべし)

 是の如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以って爾祖先の遺風を顕彰するに足らん

 (かくのごときは、ひとりちんがちゅうりょうのしんみんたるのみならず、またもってなんじそせんのいふうをけんしょうするにたらん)

 斯の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所、これを古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず

 (このみちは、じつにわがこうそこうそうのいくんにして、しそんしんみんのともにじゅんしゅすべきところ、これをここんにつうじてあやまらず、これをちゅうがいにほどこしてもとらず)

 朕、爾臣民と倶に、拳々服膺にして咸其の徳を一にせんことを庶幾う。

 (ちん、なんじしんみんとともに、けんけんふくようにして、みなそのとくをいつにせんことをこいねがう)



 教育勅語に示されている事は、日本人として当然の事(規範)なので、今更敢えて強調するような事でもないのですが、その当たり前の事が出来ていない、忘れがちな今の時代だからこそ、声に出して改めて肝に銘じる事も大切なのではないかと思っています。

 どんな宗教を信仰していようとも、どんな人種、思想の持ち主であっても、この教育勅語のような本能に基づく雛形規範、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友愛信じ」こそが、「人類普遍の原理」なのではないか、と私は思います。

 国民主権という毒素を「中和」(消すのではなく”中和”です。これが大事。)させる清涼剤としての効能が、この教育勅語にあると思います。ぜひとも暗唱から始めませんか。

 (さらに次回へ続く)

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続・理性の崩壊と国民主権

国民主権という毒に精神を冒される

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 みなさま、おはようございます。いつもありがとうございます。

 今日は国民主権に関する記事の続編をUPいたします。書き進めて行くうちにどんどん長くなってしまいました。ですが、大切な内容ではないかと思いますので、長文で申し訳ありませんが最後までご笑覧頂けますと幸いです。

 最近、主にインターネット上だけ?だと思われますが、鳩山首相らが「友愛!友愛!」と、独裁政治の下ごしらえをしながら連呼するものですから、「友愛するぞ!」というフレーズが、一昔前の「ポアするぞ!」みたいな意味合いで使われることが多くなってきましたが、皆様は今の所お変わりありませんでしょうか?ご無事でしょうか?それなら良いのですが。。。

 そもそも、「友愛」という言葉の語源を辿ると、フランス革命の時の理念、自由、平等、友愛(博愛)の中の一つであります。フランス革命とは、それまで封建的であった専制的王政を打破するために、第三身分であった市民が、蜂起し革命を起こして王政を消滅させた出来事でした。このフランス革命という事象は、占領憲法の「国民主権」という主義に通ずる思想であり、占領憲法というのは完全な革命思想に基づいた憲法であるといえます。

 アイルランド出身、アイリッシュであったイギリスの哲学者、エドマンド・バークはこのフランス革命を伝統を破壊する危険な思想として批判していました。バーク自身がイギリスの中でも弾圧の対象であったアイリッシュであったわけですから、単に王族・貴族中心の封建的な統治制度を良しとしていたわけではなかったのではないかと私は考えています。

 フランス革命は民主政治(デモクラシー、多数派による少数派弾圧)という概念の象徴であったわけですが、鳩山由紀夫首相が語っている「友愛」なるものが、どういう意味を持っているのかはわかりませんが、「日本は日本人だけの物じゃない!」という発言からもわかるように、日本の皇室・皇統を否定する、日本の経済(お金)は魅力的だが、伝統には全く敬意を払うつもりのない人間に対しても、その友愛精神を発揮しようとしていることがうかがえます。

 さて、数日前の記事ですが、肝炎問題で一躍スターダムにのし上がったお姫様も、剛腕のオザワンこと小沢一郎先生にいずれは「友愛」されてしまうのでしょうか。

 引用します。

 行き場失う「議員立法」 小沢氏が原則禁止 肝炎法案も不透明…
 2009年10月23日(金)08:05
 http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/m20091023039.html

 民主党内で「議員立法」が行き場をなくしている。議員立法は国会議員が自らの信念を形にできる大きなチャンスであり、立法府の重要な役割の1つだ。しかし、小沢一郎幹事長ら執行部が政府・与党の一元化を実現するため議員立法を原則禁止したせいで、立法プロセスが確立できていないのだ。民主党は野党時代、議員立法で存在感を示しただけに、政府の役職に就かなかった議員の不満は募る一方だ。(斉藤太郎、水内茂幸)

                   ◇

 「臨時国会では肝炎の法案もやってください。自民党にもお願いしてきました」。民主党国対幹部の1人は19日、福田衣里子衆院議員の一言に頭を抱えた。福田氏は元薬害肝炎九州原告団代表。被害者として肝炎対策を訴えてきた。

 福田氏の“暴走”に国対幹部が困るのも無理はない。与野党で水面下の調整が進む肝炎対策基本法案について、民主党内には、議員立法で行いにくい事情があるからだ。

 混乱のもとは9月18日、小沢幹事長名で民主党議員に送られた政府・与党一元化を求めるペーパーだ。政策調査会を廃止し、「一般行政に関する議論と決定は、政府で行う」と明記。議員立法は選挙など議員活動にかかわるテーマに限定した。

 民主党は野党時代、政策分野ごとの部門会議で議員が協議し、「次の内閣」で法案提出を決めてきた。今でも政府提出法案に関しては各省政策会議という議論の場がある。しかし、議員立法についてどのような党内論議を経て意見集約を図るかの答えを、小沢氏は示していない。

 党内で国会の委員会ごとに政策を議論する「運用会議」設置案が浮上したが、小沢氏は「必要ない。一元化の意味がなくなる」と却下。一部議員は、国会の委員会ごとに任意の「研究会」を開き、討議の場とすることを模索しているが、小沢氏の「一喝」を恐れ、動きは鈍い。

 「選挙に負けたら政府もヘチマもない。政府は政策で国民の信頼を得るように努め、政府に入っていない者は草の根でがんばる。それに尽きる」

 小沢氏は19日の記者会見で、こう強調した。しかし、議員立法という仕事を奪われた与党議員は「議員になった意味がない」(中堅)とぼやく。議員立法の原則禁止に対しては、小沢氏に近い平野貞夫元参院議員でさえ、「国会議員の基本権である立法権を自縛する」と批判しており、民主党にとって大きな課題となりそうだ。



 引用ここまで。

 この福田衣里子という人物は何を考えているのでしょうか。この人物に関してはこのブログをご覧下さっている皆様からメールでも色々と情報を頂戴しておりました。私も以前からいかがわしい人物だと思っており、指摘する記事を書かねばと思っていたのですが、この方の肝炎はもう完治しているという話は事実なのでしょうか。

 ネット上では今でも写真で確認することが出来ますが、この福田衣里子氏はかなりの酒好きのようです。
 (http://oheohehe.at.webry.info/200801/article_3.html

 本来であれば、肝炎という病気のときは酒を飲むことは禁忌のはずです。軽症の場合は少量の飲酒であれば問題ない場合もあるようですが、この福田衣里子氏のこれまでの言動からして、自身の肝炎がそんなに軽症だったようには思えません。 

 「酒を飲んではならない!」という事ではありませんが、肝炎患者を救済する運動をしているにも拘らず、自分が治ったからといって人目を少しも憚らずに飲酒イメージを撒き散らすとは、どういう神経をしているのでしょうか。そのような軽率な行動は、本当に肝炎に苦しんでいる方々に失礼ではないでしょうか。少しは気を使ってはいかがか。

 そして、引用記事にもあるように、福田衣里子氏は自民党にも肝炎対策の法案をやるようにお願いに行ったというではありませんか。あれほど民主党の看板で票を集めてきて当選した議員が、自らの党内での議論と総意を経ないまま、先に他党に協力を要請するなど軽率にも程がある。

 その福田衣里子氏を担いで当選させた民主党は、三権分立に反する「議員立法の禁止」を打ち出した。福田衣里子氏を担いだ理由は、肝炎問題を早期に解決させるためではなかったのか。結局、人気取りの為だけに、有名人を選挙に立候補させている一部の自民党幹部と同じ事をやっているではないか。本気で肝炎対策の政策をやる気があるのかと。

 さらには、「肝炎!肝炎!」と自分のライフワークの肝炎問題ばかり言っている声しか聞こえてこないが、国会議員ならばそれだけじゃなくて他にもやることあるだろう。HPを見てみても、心を打つ自らの声で主張する政策提言など何一つなく、すべて受け売りの劣化カーボンコピーのような主張にしか聞こえない。しっかりした国家観や理念もなければ、節操も全くないと言わざるえません。

 (参考:福田えり子HP/主張
 http://eriko-fukuda.com/insist.html

 言い出したらキリがないほど指摘する事が盛り沢山でなのでこれぐらいにしておきますが、そもそも、一番ここで重要な問題は、三権分立の一つである、国会の立法権を実質的に民主党小沢一郎先生が簒奪していらっしゃるという事です。

 なんだか、戦前の大本営(参謀本部)が天皇陛下から統帥権を簒奪し、勝手気ままに権力を乱用していた事を、小沢一郎先生を見ていると思い出させます。

 本来、帝國憲法下においては、皇軍の統帥権は大元帥である天皇にあり、大本営が勝手に「委譲された」ことにして、天皇を差し置いて行使するのは憲法違反の疑いがあったのです。

 それを、小沢一郎先生は堂々とやっていらっしゃるということです。しかも、こんな重要な事を産経以外の新聞社やマスコミは殆ど触れることはありませんね。よほどどこからかの圧力がかかっているということか、一億総白痴化の症状が新聞社にも蔓延している、ということなのでしょう。

 次の参議院選挙で仮に民主党が過半数を取ったとして、小沢一郎先生がかねてから主張していた、「日本国憲法は無効!(小沢一郎氏のHP)」を実現するつもりはあるのでしょうか??

 引用ここから。

 小沢一郎 憲法改正論
 http://www.ozawa-ichiro.jp/policy/04.htm

 結論を言えば、昭和二十六年にサンフランシスコ講和条約が締結され、国際的に独立国として承認されたことを契機に、占領下に制定された憲法は無効であると宣言し、もう一度、大日本帝国憲法に戻って、それから新しい憲法を制定すべきであった。もちろん新しく制定される憲法が「日本国憲法」そのものであっても、何ら問題はない。これは私のオリジナルな考えではない。占領下に制定された憲法が無効であるのは、かつては日本でも普通に論じられていた。佐々木惣一氏や大石義雄氏など、京都学派の代表的意見がそうであった。

 一旦日本国憲法の無効を国会で宣言し、その上で新しい憲法を作りなおして、可否を問うのである。



 引用ここまで。

 しかし、この小沢氏の憲法改正論を一通り読んで頂くとお分かりのように、小沢氏の憲法論は確かに言葉の表現としては無効論ではありますが、厳密に言うとこれは事実上の占領憲法有効論をも容認できる論理なんですね。

 憲法には改正が出来ない条文があるとする事を、「憲法改正限界説」と言います。その逆で、憲法は際限なく改正することが可能であるとする説を、「憲法改正無限界説」と言います。

 憲法論で戦前戦後に代表的だったのが、東大学派であった、美濃部達吉・宮沢俊義らの「憲法改正限界説」と、少数派であった京大学派の佐々木惣一・大石義雄らは「憲法改正無限界説」でした。

 今、われわれは「日本国憲法」と称した占領憲法を「憲法」だと思い込んでいますが、この現行占領憲法はGHQの占領下において、軍事的圧力がかけられている状況において帝國議会で制定されたものです。

 この改正は本来ならば、当時の憲法学の主流であった東大学派の主張の通りで解釈すれば、憲法改正の限界を超えているので(國體条項をも改正した事)、当然「無効」と判断されて当然の憲法制定行為でした。京大学派の憲法論は佐々木惣一などの一部の学者だけの間で語られていたものであり、当時の憲法学の主流にはなりえませんでした。

 しかし、東大学派らは「1945年8月のポツダム宣言受諾において、天皇主権から国民主権へ法的な革命が生じた」という、いはゆる「八月革命説」というフィクションを無理やり演出し、結局占領憲法を有効だと認めてしまった。

 そもそも、東大学派らも当然含めて、戦前においては「主権」などという概念で憲法論は議論されておらず、あくまで「國體(国体=国柄)」という概念に基づいて、憲法学は議論が行われていました。(その概念も研究不足の感は否めませんが。)

 その中で、美濃部達吉などは戦前、いはゆる「天皇機関説論争」の中で、国家法人説を根拠に、「天皇は国家機関の一部である」と主張していました。天皇に主権があったなどとは言っていなかったのです。

 なのにも拘らず、美濃部達吉・宮沢俊義らの東大学派は、大東亜戦争に敗れた途端にGHQに迎合し、戦前に議論も無かったし、存在すらしなかった筈の「天皇主権」が「存在した」などと嘘八百を言い、占領憲法の有効性を「八月革命説」という作り話に根拠を求めたのです。食べ物に困っていた、政治に素人な国民を”権威”という隠れ蓑で騙す、典型的な絵に描いたような変節学者の一例です。

 それに対して京大学派での憲法無限界説ですが、先ほど述べたようにこれも結局は「占領憲法の有効論」です。なぜなら、憲法改正に限界がないということは、そもそも「立憲主義に基づかない」と言うことであり、帝國憲法の國體規定の改正も許されるという「主権論」の一つであるので、憲法改正無限界説の立場からは「国民主権」によって新しく制定された占領憲法は有効として認められるわけです。

 という事で、帝國憲法はなぜか突然湧いて出来てきた、「国民主権」といういかがわしい思想に基づき表面上”全面改正”を偽装され、結局は憲法無限界説の理論にほぼ近い形で改正されたわけです。東大学派も自分たちの学派を守る為に、辻褄を合わせるために「八月革命説」というフィクションを作り出して結局占領憲法を認めた。単なる自己保身しか頭になかったのでしょう。日本を守るつもりはないが、学派は守りたい、と。

 日露戦争時の森林太郎(森鴎外、東大医学部)もそうですが、東大(旧帝國大学)や京大などの学者らは国家の一番肝心な時に何の役にも立っていません。有能な学者がいたとしても、権威に潰されているのが現状でしょう。

 (参考記事:森鴎外(森林太郎)の犯した大罪
 http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-33.html

 少し前に私はmixiで、憲法無限界説の自主憲法論者?と論争をしていましたが、こちらが論理矛盾を指摘しても全く省みることなく、学校(?)で習った知識をひけらかすだけで、挙句の果ては「下位法規(有事法など)が国会で制定されているのだから、占領憲法は有効なんだ」などと言い出す始末で、もうお話にもなりませんでした。

 そもそも、下位法規の制定が憲法の有効性を追認(一種の憲法追認論)するのであれば、憲法など始めから必要ありませんので、憲法議論をする価値すらないのです。それすら判っていないのですから、さすがは立憲主義を否定する憲法無限界説だな、とある意味その強固な米国GHQ迎合思想、革命思想に閉口した次第です。

 このような憲法教育を受けて社会に飛び出して行けば、戦後の変節学者のように、本能が退化して理性が崩壊し、国民主権と言う革命思想に精神を乗っ取られる危険性がかなり高いのではないでしょうか。

 「新しい憲法を、その時代の国民の意思で創る」という新憲法論(自主憲法論)は、それまでの伝統を否定する「革命思想」であると認識なければならない。でなければ、また何十年後かの国民にも新しい憲法を創る権利が無ければ、もしくはその権利を先人が与えなければ、必然的に論理矛盾になるからです。

 我々の正真正銘の正統憲法である大日本帝國憲法は、新しく創られたのではなく、英米法でもなく、大陸法でもなく、日本古来からの伝統、國體(国体)=国柄(くにがら)に基づいて、元々存在していた法を「改めて確認した法」です。

 帝國憲法(占領憲法も一応)は「欽定憲法」と呼ばれています。しかしこれは、天皇が民に命令するというような憲法ではありません。帝國憲法が制定された時の、明治天皇の告文にもそれは示されています。

 帝國憲法の告文には、「皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示」とあります。簡単に言うと、「これまでの祖先の教えを明らかにして、皇室典範と帝國憲法を成立して示す」です。

 「これまで当たり前に守って来た事をもう一度確認しなおして、判りやすく紙に書き示し、これらをちゃんと臣民と一緒に守ってゆきますよ。」と、明治天皇は神前で誓われて公布されたのが帝國憲法なのです。

 「欽定憲法」の「欽定」とは、天皇が憲法制定権力者(主権者)として創設したといふ意味ではありません。「欽」とは、「つつしみかしこまる」といふ意味であり、皇祖皇宗の皇裔である明治天皇が皇祖皇宗に対して、「つつしみかしこまつて遺訓を明徴して定められた」といふ意味です。

 何十年、何百年、何千年たって科学がどんなに進歩しようとも、世界中の人間が生まれる条件が「父親と母親が存在する」という事と同じことです。

 私も貴方も今ここにこうして存在するのは、父親と母親が居るからであり、その父母にも同じように父と母が居て、これを26代遡れば約一億二千万人という、現在の日本の人口に匹敵する数の父と母が存在していたからです。

 更にもっともっと遡れば、科学では証明できない「神話」の世界となります。しかし、現実に我々はこうして神話の時代から脈々とその命を受けつないでいる。私たちはその伝統を引き継ぐ、「単なる中間者」にしか過ぎません。

 家族を守るという事は伝統を護るという事と同じことであり、それは祖先祭祀につながります。それが本当の「人類普遍の原理」なのです。占領憲法に書いているような、いかがわしい現代の権利ばかりを主張する人権論などに、人類の普遍性などあるはずもない。

 統治技術の構造は時代によって自然に変更を伴うものですが、我々のような単なる中間者が、国民主権という言葉の意味の通り、憲法も含めて何でも好き勝手に伝統を変えてはならないと私は思います。

 国民主権思想のように傲慢になってはいけないのではないかと思うわけです。


 (次回へ続く)

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