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無能学者が我が國を歪める

天皇機関説論争と無能学者の跋扈

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 ※祝・大日本帝國憲法記念日 11月29日

 みなさま、こんにちは!今日は前回からの流れを受けて、天皇機関説論争について少し書きたいと思います。少し長いですが、まず引用文からお読みください。

 http://aishitemasu.com/mukouron/pdf/1/1_1.pdf(40頁~) 引用

(天皇機關説論爭)

 このやうに憲法の解釋と運用において、まづ、統帥權の憲法的な位置付けについて問題が提起されたのは、昭和五年に起こつた統帥權干犯問題であるが、この問題については後で述べるとして、その前に、その五年後の昭和十年に起こつた天皇機關説論爭について説明する。

 この論爭の歴史は長く、古くは明治二十二年の穗積八束(天皇主體説)と有賀長雄(天皇機關説)の論爭に始まり、それが穗積八束と美濃部達吉、上杉愼吉と美濃部達吉の論爭へと引き繼がれた。穗積、上杉の天皇主體説は、ルイ十四世の「朕は國家なり」といふ天皇即國家の認識と同樣に、天皇の超憲法的權威を主張するものであつた。この考へであれば、本來なら帝國憲法の基本構造を絶對君主制とするのが自然であるのに、さうではなつた。あくまでも運用上は原則として立憲君主制憲法と理解し、しかもさらに進んで天皇不親政と解釋運用することを肯定するのである。

 これに對し、有賀、美濃部の天皇機關説(創始者は一木喜郎)は、天皇を國家機關であるとの主張であり、これは、ドイツの國家法人説をそのまま翻譯した何ら新味性のない、ありふれた學説であつた。
つまり、「天皇機關説」とは、ドイツの國家法人説を日本國家にそのまま適用し、國家を法人とし、天皇をその機關とする學説であり、天皇に主權があるとする穗積八束及び上杉愼吉らの「天皇主權説(天皇主體説)」と對立した。前者は、國體と政體の區分を否定した一重區分説であつたのに對し、後者は、この區分を肯定した二重區分説であつた。

 ところで、天皇主權説については、帝國憲法のどこにも「天皇主權」なる概念はなく、フランス流の主權概念の無批判な追随理論である。「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」(第四條)とあり、天皇は「元首」であり「統治權の總覽者」であつて、主權者ではない。もし、絶對かつ無制約の主權者であれば、統治權を總攬するについて「此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」といふ制約があることも、「凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス」(第五十五條第二項)として副署を法令の成立要件とする制約があることも完全に矛盾する。ましてや、帝國議會に豫算と法律の審議權があることなどは、天皇主權を否定するものである。

 昭和十二年五月に文部省が刊行した『國體の本義』(文獻8)にも、「天皇は、外國の君主と異なり、國家統治の必要上立てられた主權者でもなく、智力・望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。」とあり、當然のことながら帝國憲法の告文にも「皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示」とあり、「祖法の確認」をしたのが帝國憲法である。これを「欽定憲法」と呼ぶが、「欽定」とは、天皇が憲法制定權力者(主權者)として創設したといふ意味ではない。「欽」とは、「つつしみかしこまる」といふ意味であり、皇祖皇宗の皇裔である明治天皇が皇祖皇宗に對して、つつしみかしこまつて遺訓を明徴して定められたといふ意味である。

 ところが、穗積八束及び上杉愼吉らは、愚かにも、自らが唱へた「天皇主權説」により占領憲法が唱へる國民主權論の道案内をした結果を招き、後で述べるとほり、ホッブズの役割を果たしてしまつたのである。しかも、この天皇主權を否定してきた天皇機關説論者である美濃部や宮澤らは、占領憲法においては、逆に、帝國憲法が天皇主權であるとして、それが占領憲法の制定により「主權委譲」があつたとまで詭辯を弄したのである。

 いづれにせよ、この天皇主權説と天皇機關説の對立は、學理的に見ても意義深いものではなかつた。天皇機關説が依據した國家法人説とは、國民主權主義と君主主權主義との對立の矛盾を契機として唱へられた折衷的な學説であり、戰後の尾高・宮澤論爭のやうな主權概念論爭に至る過渡的な見解であつた。この論爭は、實證法學と自然法學との對立論爭ではなく、學問的にも稚拙である上に、蓑田胸喜による天皇機關説批判を嚆矢としてその運動が展開され、政治的に帝國議會、軍部と内務省による自由主義者の彈壓の口實とされたため、天皇機關説の政治的完敗に終はつたのである。

 法律學的見地からは、天皇主權説は帝國憲法第一條の「統治權」を「主權」とすり替へて權力的に解釋した學説であり、天皇機關説は同法第四條の「元首」の解釋から當然に導かれる學説にすぎない。これは、帝國憲法が絶對君主制と立憲君主制との混在した體系であることを原因としてをり、ある意味では宿命的論爭でもあつた。この論爭に決着をつけるには、帝國憲法の改正しかなかつたのであるが、その論爭へ發展しなかつたのは、無能力な憲法學者による議論の未熟さとそれに追随する政治的環境によるものであつた。

 しかも、美濃部は、「天皇超政論」を展開し、「君臨すれども統治せず。」として、いづれも天皇が統治し或いは統治權の總攬者であるとする帝國憲法第一條と第四條を實質的に死文化させて解釋するのである。立憲君主制といふのは、專制君主の權限を議會がこれを制限し、あるいはその一部を移譲させてきた歐洲の歴史に由來するものであつて、その究極の形態が「君臨すれども統治せず」といふ不親政の態樣に過ぎないものである。

 つまり、立憲君主制とは、「絶対君主制(專制君主制)」とは異なり、立憲的に君主の權限を制限するといふ樣々な態樣の「制限君主制」を一括りにした概念なのである。從つて、專制君主的要素の強い帝國憲法を立憲君主的に解釋するとしても、「(形式的に)君臨すれども(實質的に)統治せず」といふやうに天皇不親政の意味に理解することは論理の飛躍も甚だしく、こんな強引な法解釋は學問として成り立つものではなかつた。

 ところが、兩説は、天皇不親政といふ點において、結論的には一致してゐたのである。つまり、この論爭當事者たちの最大の矛盾は、天皇の主體性や機關性を主張しながら、實質上はその主體性や機關性を完全に否定した點にある。

 ただ、後に述べるとほり、兩説は、統帥權の獨立といふ點に關しては異なる見解であつたが、それ以外では、兩説とも、帝國憲法の立憲君主的運用と天皇不親政に異論はなく、天皇の地位を機關と呼ぶか否か、つまり天皇を公務員(官吏)の地位と同じ意味を有する「機關」といふ呼稱を用ひてもよいのか否かといふ心情的な皮相の對立が底流にある極めて幼稚な論爭であり、學理的には不毛の議論であつた。

 本來であれば、帝國憲法において、天皇大權を定めた規定のやうに專制君主的色彩の濃規定と、「天皇ハ聖ニシテ侵スヘカラス」(第三條)や「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(第五十五條第一項)などの立憲君主制的色彩の濃い規定とがあり、明治期においては、專制君主的な運用がなされてきたのに、その後は立憲君主的に運用し、しかも、さらに天皇不親政といふ解釋運用がなされて、天皇大權を實質的に剥奪してきたことを問題として論爭すべきものであつた。

 天皇が專制君主なのか立憲君主なのかといふ點だけでも極めて重大な問題であるのに、そして、假に、立憲君主であるとしても、それは内閣と議會などによつて大權行使が制限されるといふことに過ぎないのに、それを一足飛びに天皇不親政として拒否權(ヴェトー)も剥奪することは、帝位の簒奪にも等しい大逆であるとの認識は全くなかつたのである。まさに「天皇大權の干犯」といふ解釋改憲を共謀して行つたことになる。

 それゆゑ、この天皇機關説論爭なるものは、「目糞と鼻糞の論爭」とも云ふべき無學識な似非學者の奸臣どもによる單なるお遊戲であり、結果的にはこの「天皇大權の干犯」といふ解釋改憲の運用事實を隱蔽してきたことになる。

 ただ、この論爭は、確かに學問的には不毛かつ有害の議論であつたが、これが政治の舞臺に登場して政治状況を一變させる。美濃部の天皇機關説が國體に反するといふ政治批判が起こり、美濃部は貴族院議員を辭し訴追を免れ、天皇機關説の政治的敗北に終つたのだが、これは、その五年前に起こつた統帥權干犯問題と密接に關係してゐた。

 美濃部は、統帥權について、第十一條の統帥權(作戰、用兵)については内閣の關與を否定し(帷幄上奏)、第十二條の軍の編制權については内閣の權限に入ると解釋してゐた。つまり、狹義の統帥權(第十一條)と軍の編制權(第十二條)を含んだ廣義の統帥權とを區別し、統帥權の獨立は狹義の統帥權に限るとしてゐたのである。後に述べるが、これが一知半解の美濃部の學才的限界でもあつたが、いづれにしてもこの解釋が軍首腦の怨嗟の的となつた。

 また、美濃部は、各政黨の頭領、軍部の首腦者、實業界の代表者、勤勞階級の代表者らを集めた「圓卓巨頭會議」で國家の根本方針を議定するといふ國家機關構想を發表したことによつて(美濃部『議會政治の檢討』)、當時の多數黨であつた政友會らが目指す「立憲主義の常道」すなはち政黨内閣制を公然と否定したことから、議會までも敵に回した。まさに「前門の虎、後門の狼」であつた。

 つまり、美濃部のこれら見解は、天皇機關説と一體化して捉へられ、天皇主體説の論者と軍、議會、それに觸發された民間人との共同戰線により攻撃されて失脚したといふのが實相であらう。



 ここで一番重要なの事が、もともと我が國では「天皇主權」なる、西洋でいふいはゆる「王權神授説」(唯一神から王へ權力が委譲されたとする説)、それから派生した國民主權主義(王權から民衆へ權力が委譲されたとする説)などの「主權論」は存在していなかつた、という事実である。

 帝國憲法はプロイセン憲法のコピーだと揶揄される事が多いが、輸入王制が多かつた欧州で発展していたやうな「國家法人説」に基づく単純な憲法ではなく、「統治すれど親裁せず」を基本とし、「一旦緩急あれば親裁する事もあり得る」とした非常に柔軟且つ、基軸のしつかりした世界でも類を見ない伝統に立脚した欽定憲法なのです。

 前回の記事にも書いたやうに、旧皇族である竹田恒泰氏は「現行憲法の無効論は、先帝陛下と今上陛下のお考えを否定する事になる」などと言つているが、まさしくこれこそが唯一神を基にした西洋的主權論を代弁する言説の一つであり、國民主權という「八月革命説」を内包した共産主義を容認する「反國體論」であることを、竹田氏自身や伝統保守派を自称する者が自覚するべきことである。

 竹田氏はさらに、日本國憲法と称する占領憲法の第一条の「傀儡象徴天皇制」を根拠に、我が國の國體は昔と変わらず生きている、などというやうな言説を恥ずかしげも無く保守派のふりをして論理的に強くない臣民に言いふらしてたぶらかしている様だが、天皇の公布文を根拠として占領憲法を有效と認める「天皇主權論」に立つているにも拘らず、國民主權主義を高らかに謳う日本國憲法第一条によって國體が維持されている、などと言うのは完全な論理破綻である。

占領憲法の第一条などの天皇条項を正しく解釈するならば、「天皇陛下に檻の中にお入り頂いた」という状態での、「傀儡天皇制」を維持しているに過ぎず、これをもって國體が正統に護持されているなどと賞賛する者の事を、伝統保守派からすれば「人で無しの売國奴」と言ふ。

 ともあれ、今上陛下のみならず、歴代の天皇すべてが等しく「國體」の中に存在するのであり、ルイ十四世の「朕は國家なり」といふ概念とはまつたく存在を異にするものであり、論理おいて「天皇主權は天皇主權」でしかなく、「國民主權は國民主權」でしかなく、これらが両立することあり得ない。例えるならば、母(主權論)が同じの双子の兄弟であっても、お腹から先に出てきたのが兄(天皇主權)ならば、後から出てきたのが弟(國民主權)であり、兄は兄であり、弟は弟であって、兄は弟ではなく、弟は兄ではないのでこれが両立しない事と理屈は同じである。

 「日本書紀」や「古事記」の学問的研究をいくら精密に重ねようとも、天皇も我々臣民(國民)も、論理をも凌駕する本能の祭祀に基づく「國體の一部」であることを直感的にでも自覚することが出来ねば、永遠にこの間違いに気づくことはないだらう。否、仮に気づいたとしても、さらに「戦後保守」の論壇から抜け出せるかどうかは、同氏が「私道」から「公道」へ、つまり「皇道」へ原点回帰出来る志を有しているかどうかにかかっている。

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Tag : 天皇機関説 竹田恒泰 大日本帝国憲法 日本国憲法 占領憲法 天皇主権 国民主権

似非保守が一番タチが悪い

「日本國憲法」と偽称する占領憲法

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 みなさま、こんばんは!いつもありがとうございます。すでにお気づきの方がおられるとは思いますが、当ブログでは「正統仮名遣い」と「占領仮名遣い」、「本字」(難しい漢字)と「略字」(現代風な簡単な漢字)がごちゃ混ぜになつています。

 これは、まだ私が修行中の身であるからなのですが、それ以外に、やはり占領仮名遣いではなくて日本の文化伝統を護持する為の「文化防衛活動」の一環として、このブログの記事においても実践してゆかなくてはならないのではないか、と思い、今はまだ中途半端ではありますがこのやうなごちゃ混ぜ状態となっています。

 (本字は普通のスペースキーの変換では出てこないので、一字づつ辞書に登録してあげる必要があつてかなり時間がかかります。本字が出てくるソフトも探せばあるのでしやうが、勉強の為に敢えて自分で一字一字登録するようにしています。)

 さて、今日は「日本国憲法」と偽称している占領憲法「嘘」についてご紹介したいと思います。

 この記事を書いている途中で、いのししさんのブログで同じような内容に触れられている記事を拝見しましたので、併せてご紹介させて頂きたいと思います。

 こんな詐術で右翼に「現日本国憲法が大御心」だと思い込ませようとするとは卑劣ではないか?/小林よしのり http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/57970556.html

 いのししさんの記事において、いのししさんが正鵠を射た指摘をされておられる通り、小林よしのり氏が「尊皇の志がある思想家である」と思つているならば、もっと明確に「占領憲法は無効である!本当に國體護持を掲げるならば、帝國憲法を護持するべきである!」と、明確に書くべきであります。

 よつて、小林よしのり氏は、まだ中途半端な尊皇思想です。しかし、同氏のこれからの発言を注視し、少しだけ期待を持つて待ちましょう。

 それよりも問題なのは旧皇族の竹田恒泰氏です。

 小林氏曰く、竹田氏は、

 「現行憲法の無効論、破棄論は、天皇の御意志に反する」

 「現行憲法の無効論は、先帝陛下と今上陛下のお考えを否定する事になる」


 などと言い放つていますが、これは旧皇族ならばなおさら許されざる発言であります。

竹田恒泰氏のこの論理は、天皇主権論であり、我が國の國體(こくたい)に反する「主権論」の仲間であり、GHQの奴隷論理であります。

 八百万の神々に基づく國體(こくたい)を護持するならば、天皇主権国民主権も、一神教思想を基にするあらゆる主権論を絶対に否定しなければならない。これは絶対です。

 天皇の上諭、つまり公布文によつて、無効な占領憲法のみならず、憲法を制定させる権力を持たせる事は、西洋的に言えば専制君主制度であり、「天皇を絶対神として崇めよ!」と言っている事と同じ事だと自覚せねばならない。

 このことについて、言い訳がましい釈明は通用しない事を竹田恒泰氏は自覚せねばならない。ましてや旧皇族という立場なら当然の事です。

 こういう事を言うのが「似非保守」と言うんです。もつともらしい事を言って、無知な臣民を誘導させるやうな事をする輩に対しては容赦は出来ません。徹底的に反論いたします。

 我々、國體(こくたい)を護持せんと志を同じくする者は、天皇主権ならびに国民主権という一神教(絶対神、創造主、メシア思想)の主権論を完全否定しています。細かな政策論に差異はあつても何ら問題はありませんが、これは大前提で確認せねばならないことであり、絶対にこの基軸がブレてはなりません。


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 さて、本題に戻りますが、まず、先帝陛下の公布文である上諭からみてみましょう。

 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。



 先帝陛下の上諭のどこに嘘があるかと申しますと、日本国憲法という名の占領憲法は、枢密院での十分な諮詢を経ておらず、大日本帝國憲法の第73条などにも違反していることはこれまで書いてきた通りでありますが、それ以外に「帝國憲法」という箇所に嘘があります。

 これはどういうことかと言いますと、我々はよく「帝國憲法」とは言つていますが、これは正式には「大日本帝國憲法」です。「帝國憲法」とはあくまで略称であり俗称のやうなものでありため、法として正しく明記するなら「大日本帝國憲法」と書かねばなりません。

 よつて、先帝陛下のこの上諭では、大日本帝國憲法の改正法としての、「占領憲法の正統性」を導くことは出来ません。当たり前ですが、公文書に略称や俗称などを用いる事は出来ない事は当然であり、憲法ならなおのこと許される事ではありません。

 これは、日本国憲法という名の占領憲法が、正式に「大日本帝國憲法昭和21年改正法」などとは明記されていないことからも、占領憲法自体が新しく(GHQによって)作られたという事実を物語つており、帝國憲法の改正を偽つた偽者の伝統憲法であると言う事がわかります。

 畏れ多くも先帝陛下の御叡慮を忖度いたせば、あえて「大日本帝國憲法」ではなく「帝國憲法」と明示されたのは、日本国憲法という名の占領憲法がその正統性においても、手続きにおいても、すべてにおいて日本の國體(こくたい)と合致することはないという、「抗議」の意思表示ではなかったのかと私は思うわけです。

 そして、わけの分からない言葉で書かれた前文です。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



 この前文が自らが、「この憲法は名前は憲法でも、実際は憲法ではなく講和条約です。」と、最後の「日本国民は、・・・(連合国に)誓ふ」という箇所で告白しているわけですが、憲法としての大きな嘘は、「正当に選挙された国会…主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する」というくだりです。

 占領憲法は「国会」で議論されて確定したのではなく、「帝國議会」で議決して確定したはずです。そして、その帝國議会の議員は、帝國憲法下における「普通選挙」で選ばれた代議士であつて、占領憲法下で選ばれた代議士ではありません。よつて、「国会で議論されて占領憲法が確定された」というのは、真つ赤な嘘です。

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 本当なら、今日の記事は後半の部分だけだつたのですが、後から竹田恒泰氏に対する反論を追記しましたので、結局長い文になってしまいました。

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Tag : 日本国憲法 占領憲法 大日本帝国憲法 竹田恒泰 天皇主権 国民主権 國體護持 主権論

憲法を語る以前の問題

憲法を語る以前の問題

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 みなさま、こんばんは!いよいよ寒くなって参りましたが、もうお鍋の準備は出来ていますか?鍋はウィルス感染予防に効果的な湿度を保ちながら、心も体も温まるという一石二鳥以上の食べ方です。ワクチンで対策する前に、まず自らの免疫力を高める自助努力をしましょう。

 さて、最近は非常に忙しく、中々更新もままならない状況なのですが、少しいのししさんの所へお邪魔して議論と言いますか(議論になってない)、意見交換を久しぶりにサヨクらしき人とさせて頂きました。

 蛇足ですが、私は基本的には漢字で「左翼」と書くときと、カタカナで「サヨク」と書くときとを区別しています。その区別とは単純な理由で、そもそも日本の國體(こくたい)を認めるか認めないか、という違いだけです。國體を認めた上で、リベラル寄りな陣営に対して「左翼」という漢字を使います。ですから、同じ響きでもその内容はまったく違うものと評価しているということです。(しかし、現在の我が國で「左翼」と呼べる者はほとんどいませんが。。。)

 そのサヨクらしき人物と少しやり取りをした中で、私は最後にあえてこのように聞き返しました。

 http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/57818720.htmlより

 jos*u*2j*n200*さん

 人は自分自身のためだけに生きているならば、「国」という統治体制は必要ない何者にも縛られない本当の自由人なのですから、国家主権とか国民主権などという「主権」の概念すら必要ありません。どうぞ誰にも縛られないお好きな所で自給自足でお一人でお暮らし下さい。それはそれで私は素晴らしい事だと思いますよ。ぜひどうぞ。

 貴方は占領憲法は押し付けだけれども守ると仰っていますが、私は私の価値観を貴方に押し付けることはありませんし、例えばですが、貴方が穴倉に一人でお住まいになられる事を私は力ずくで止めたりなどたしませんのでご安心下さい。

>「自分が幸せに生きる為には、隣人も幸せでなければならない」

ですから、教育勅語はその通りの事が書いてありますでしょ。

 自分が幸せになるために、両親が子供の幸せを願うように、まず、自分の周りから幸せにしてあげましょうよ。両親、兄弟、家族、友人、会社の先輩後輩、地域社会、わが祖国・・・これをどんどん広げて行って、余力があれば迷惑にならない程度に色々な国の人々の幸せに貢献しましょうよ。隣国の方々は隣国内でまた色々と議論なされればよろしいじゃないですか。まさか、会った事もない人を幸せにするために、自分の家族や友人、知り合いを不幸にする人はあまり居られないと私は思いますよ。

 知識をひけらかす必要のない、難しいお話など必要ない簡単な話でしょう?違いますか?



 この書き込みをしてからサヨクからまったく返信が無くなったので、これ以上意見交換は進展しなかった訳ですが、ここまで書いた私にはもう次に書く内容が思いつきません。これ以上もこれ以下の無い、皆様が「当たり前」に思っている事、わざわざ口に出して言う事でも無いことを私は書いているからです。

 このサヨクの方は、戦前がどうだとか戦後がどうだとか、帝國憲法がどうだとか占領憲法がどうだとか、キリスト教という一神教の理念に基づいて一生懸命私に説明してくれるのですが、そもそも占領憲法を有效と認めて、完全なる「個人主義」に基づくならば、なぜ私に「理解してください。」と同意を求めるのでしょうか。

 家族や社会との共助を否定し、完全なる個人主義を求めるならば、私に理解を求める必要も無ければ、私に自分の考え方を「理解させようとする」事すら必要ありませんし、そもそも、理解させようとしている己自身が個人主義に違反している事になります。

 つまり、個人主義を最大限尊重しなければならないのならば、永遠に自分だけの心中で思っていなければ、個人主義という概念自体が成り立ちません。

 ご自身の「個人主義を最大限に尊重しろ!」と言うのならば、逆に私の「個人主義」も尊重して頂かねばならないのは自明の事であり、個人主義に基づいて「理解してください」などと言って他人に同意を求めること自体がすでに論理破綻しているのです。

 ですから、個人主義に基づいて誰かの批判をする事は許されたとしても、それによって他の者(物)を拘束させる力は全くありません。

 よって、この論理に基づいて憲法論を展開するならば、個人主義を最大限尊重する占領憲法の有效論では、赤の他人であるはずの帝國憲法そのものを無效化する效力は一切無い、ということになります。

 さらには、個人主義を推進する占領憲法によって、個人がその憲法の束縛を受ける事自体も、論理破綻であります。

 結論としては、

 「貴方は個人主義者なんでしょ?だったら、自分の事だけ考えていれば良いんですから、他人のことは放っておいて下さいよ。」

 という、たったこれだけの事です。

 戦後から今もそうですが、占領憲法を有效として既得権益を守ろうと必死な「憲法学者」という「専門家」は、簡単な理屈であるはずの憲法を、さも専門的な知識が無ければ語れないなどというイメージを一般國民に植え付け、自分たちの解釈を押し付けようとする単なる獨裁者(全体主義者)であると言うことです。

 憲法よりも大事なものがある事すら認識出来ていない者に憲法を語る資格はありませんし、常識(本能)を理解、もしくは認識していない方との憲法論(法、論理)はどこまでも平行線となるため、最終的にはお互い思想の差異を確認するだけで終わってしまうものです。

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テーマ : 日本国憲法は無効です! - ジャンル : 政治・経済

Tag : 大日本帝国憲法 日本国憲法 占領憲法

9条の自然権という詭弁

「占領憲法第9条の自然権」というお笑い話

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 みなさま、こんばんは!最近急に冷え込んできましたね~。風邪など引かれないようにご自愛くださいませ。

 さて、今日からは「食料と自存自衛」と「占領憲法9条と自然権」についてですが、また長くなるといけませんので、まず今日は「占領憲法9条と自然権」について私見を書きたいと思います。

 いつも長々とした文章だと読むのが辛いと思いますので、今日はズバリ単純明快に書きます。

 「保守派」を自称自認する人がよく言う台詞なのですが、

 『日本国憲法第9条は確かに、交戦権ならびに国権の発動による戦争を放棄しているが、そもそも人間の自己防衛本能という「自然権」までは憲法と言えども否定出来ないし、この9条もそこまで否定する文言はないのだから、個別的自衛権まで否定していない。』

 と言います。

 これは本当なのでしょうか?

 こんな論理は私から言わせると、お笑いなご都合解釈で、嘘をつきなさんな、と言いたい。

 さて、その批判根拠を以下に出来る限り判りやすく簡潔に書きます。

 占領憲法(日本国憲法)の第98条1項にはこう記されています。

 第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。 


 
 そして、教育勅語について何度かこれまでのエントリーの中で触れてきました。教育勅語の内容を平易に言うと、

 「みんなで助け合いなさいよ、親孝行しなさいよ、夫婦仲良くしなさいよ、兄弟も仲良くね、ちゃんと勉強しなさい、そしてよく働くんだよ。もちろん、国の憲法や法律はちゃんと護らないと駄目だよ。国の一大事のときは皆で協力して国を護りなさいよ。」

 とまぁ、憲法云々以前の話で、「当たり前」な内容であって、日本人のみならず人間として当たり前の「自己防衛本能」と、親が子供を守るという「家族防衛本能」を、中心として明治天皇が勅語として示されたものです。

 ですが、この当たり前の内容であるはずの勅語が、戦後GHQ占領下の昭和23年6月19日に衆参両院で、占領憲法第98条を根拠に「失効確認決議」がなされています。

 ということは、日本国憲法という占領憲法は、教育勅語が示している「当たり前の本能」すらも否定している、ということになり、同時に家族や国家の自己防衛本能をも否定しているということになります。

 なのにも拘らず、日本国憲法第9条だけを自分たちの都合の良い様に解釈して、否定されているはずの自衛権という自己防衛本能はある、という論理は詭弁としか言いようがありません。

 したがって、自称「保守派」が言う、「日本国憲法第9条は、自然権(自衛権)まで否定していない!」という論理は、米国GHQが押し付けた戦後の占領憲法体制を意地でも守らんとする、支離滅裂な嘘八百の詐欺師のような屁理屈だと言うことがお分かり頂けると思います。

 政治的な観点を極めて抜きにして、純粋に法理論から考えても、「日本国憲法9条は、自然権まで否定していない!」という論理は、占領憲法が否定した教育勅語の論理とは矛盾するのであり両立しないのです。この考え方が間違っていればご指摘頂きたいと思いますし、両立するというご意見があれば是非ともお伺いしたいと思います。

 占領憲法を一日でも早く国会の過半数で無効確認宣言し、大日本帝國憲法(明治憲法)へ戻せば自衛隊は堂々と「合憲だ!」と胸を張って言えます。誠に単純明快な話だと私は思いますが、いかがでしょうか。

 私のこの批判というか正論に、詭弁を用いずに堂々と反論出来る方がいらっしゃれば、私も勉強になりますのでコメント大歓迎です。ちなみに、簡潔に書きましたので、予想される反論に対する再反論の根拠を用意してある事を付言しておきます。

 【11/17 追記】

 いのししさんの素晴らしいブログで、どなたかわかりませんが頓珍漢な面白いコメントを発見したのでご紹介したいと思いました。是非ともご覧頂きたいと思います。

 いのししさんのブログ→http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/45996606.html

 理路整然、素晴らしいいのししさんの記事はリンクをクリックして頂いてお読み頂きたいと思いますが、そのコメント欄に書き込まれている実に面白いコメントをこちらでもご紹介したいと思います。

 >平和が狙いの日本国憲法では、いくら戦争放棄の戦力不保持でも、自衛は生物体が持つ自然権(日本人の天才的発明。日本民族の偉大性を表わす憲法の見方)であれば、いくらでも武力は持てるのです。戦争をしない実力部隊であればです。そして、これは国民の代表が民主的に決めるわけです。



 この方曰く、「自衛は生物体が持つ自然権」は、日本人の天才的発明なのだそうで、日本民族の偉大性を表す憲法の見方、なのだそうです。

 自然に持っている権利なのに「天才的発明」ですか?発明しなくても元々あるから「自然権」と言うんじゃないでしょうか。まあ、発明するという行為自体を人間の好奇心に基づく自然な行為と定義すれば、「自然権を発明」とは言えなくもないですが、しかし厳密に言うと「発明」ではなく、元々そこにあるものを「発見した」と言う表現の方が極めて自然でしょう。

 そして、自然権を「日本民族の偉大性を表す憲法の見方」などと言っていますが、占領憲法が自然権を否定しているのに、占領憲法にあたかも自然権があるかのように詭弁を弄して、さらにはそれが日本民族が偉大で凄いから見えているなどと、誇張してハッタリをかますあたりがまさしく詐欺師の手法そのままです。

 ごめんなさい、ちょっと失笑が止まりません。(笑)どなたかこの方の思考回路を詳しく解説してくださる方はいませんか?逆に興味深々になってきました。

 国家の国権の発動による「自衛」と「戦争」をどのように区別しているのか、まったく持って謎です。 もしかして、今の内閣法制局が言っている「集団的自衛権は権利があっても行使できない」という、意味不明な解釈を援用して、「自衛権はあっても(戦争)行使は出来ない」などと言うのでしょうか。

 「戦争」という国家の「外交」の最終手段には当然「自衛」も含まれている。これも「当たり前」の定義だと思いますが、もしかしてこの方は更に細分化して「戦争」と「戦闘」を区別して、「自衛としての戦闘は可能だが、戦争はしてはならない」などという訳のわからない屁理屈を言い出しそうです。

 定義を厳密にすれば、「戦闘」は「外交」だけではない広範囲な「状態」を表すのもので、戦争は外交の延長線上にある「行為」ということになりましょう。したがって、「戦争」の中には「休戦」という状態もあれば、「戦闘」という状態も当然含まれているわけで、このエントリーの趣旨からすれば厳密に区別する必要と根拠と理由などない。(ここではそんな枝葉末節な定義の議論に何の意味はありませんのでこれ以上は書きませんが。。。)

 教育勅語を占領憲法であえて「失効」ということは、「失効」という言葉の定義から考えると、失効するまでは効力を認めていたが、失効後からは効力を認めないという事になります。

 つまり、教育勅語という自然権(自己、家族の防衛本能)があること(日本にあったこと)は認めているが、それでもあえて占領憲法第98条(第10章最高法規条項)を根拠に、民主主義の仕組みを利用して国民の代表である国会議員たちが「多数決」で否定したのだと言うことになりますので、占領憲法は自分が定義した「国民主権」で完全に「自然権」を無効だと規定し多数決で排除したのです。

 短く書くと、

 教育勅語(=人間の本能、自然権)を、「国民主権」に基づく占領憲法の民主主義で完全否定。

 みなさん、想像してみてください。国民自身が自分の首を、占領憲法で締め上げているイメージを。こんな阿呆な憲法はどこ探してもありません。

 平和が狙いのはずの日本国憲法(第98条)で、生物体が持つ自然権(教育勅語)を完全否定(失効確認)しているのですが(笑)。。。どう考えても矛盾だらけですよ。

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Tag : 大日本帝国憲法 占領憲法 日本国憲法 憲法9条 自衛権 自然権

続々々々・理性の崩壊と国民主権

占領憲法状態を視覚的にしてみる

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 みなさま、こんばんは! まだまだ続く国民主権シリーズですが、前の記事で終わった続きで、食の問題から国防の話へと進むつもりでしたが、ちょっと脱線しまして、最近は外國人参政権が話題となっているようなので、それに絡めて占領憲法を護持し続けることで、日本が今後どのような形になって行くのか、ちょっと今日は図形から考察してみたいと思います。

 (下の方のそれぞれの絵は、クリックすると大きくなります。)

 まず、帝國憲法下での我が國は、外国と外国人との「区別」が明確にありました。國體(=くにがら)の中に「帝國憲法」や、「教育勅語」などの我が國古来からの規範が存在し、天皇および臣民が存在していました。これは「血統」だけが一番重要な唯物論的なものだけではなく、國體、つまり祭祀を最も重んじる「本能」の思想であれば、それがすなわち「すめらみこと」の道となり、それが連綿と受け継がれて皇統となり伝統となります。

 その観点から言うと、単なる血統・民族主義的な思想ではなく、日本人の血を引いていても、その「すめらみこと」を重んじない日本人であれば、それは國體(伝統)の破壊者という事になります。逆に、外國人であっても「すめらみこと」を実践し、最も重んじる外国人であればそれが國體と雛形構造になります。

 鳩山由紀夫首相が、「日本は日本人だけのものではない」と迷言を説かれましたが、上記の観点を踏まえるならば、本来はこう言うべきだったのでしょう、

 「國體(こくたい)という本能は日本人だけのものではない」と。

 まず占領憲法を無効確認し、帝國憲法に戻ってその認識に立つならば、「日本は日本人だけのものじゃない!」と自信を持って言える同胞も増えてもおかしくはありません。日本人が日本人たりえれば、少々外國人が来ようとも恐れることはない。

 それだけ、我が國の「國體」は、他の民族をも同化させる凄まじい「酵素」と「発酵力」を秘めているからです。少しにオーバーに言うと、例えば、10人の中で1人だけ日本人であって、残りが全員支那人であったとしても、その1人の日本人が日本人たりえれば、残りの9人を同化させるだけの底力を持っているということです。(傲慢になってはいけませんが、「それだけ自信と誇りを護持しなければならない」という事です。)

 今の世界は、それぞれの国の「國體(こくたい)」を実践していないからこそ、自立再生社会を構築できず、他の國體を荒らしまわることで争いごとが絶えないと考えられます。領土征服欲や、物質征服欲、金融征服欲、この現代マネーゲームの支配構造に、更に、キリスト教やイスラム教などの、絶対的一神教がその争いごとに拍車をかけている状況です。

 これは國単位で考えるから少し判りにくいのですが、雛形構造になっているので我々の地域社会でも同じことが例えで言えます。

 ちゃんと自立しているAさん家、他人に依存してばかりのBさん家、Bさん家のように他人に依存してばかりしている家が増えると、当然のように食料の奪い合いや資源の奪い合いが発生して、自立している家をも巻き込んで、常に争いが絶えず殺伐とした近所付き合いとなります。

 ちゃんと自立できる家(国家)が増えれば、家と家の間のルール(社会規範、国際条約)は、限りなく少なくてもよく治まります。逆に、自立できない家が増えると下の占領憲法後の法体系図のように、社会構造が重層化して複雑になり、争いごとが絶えず発生し自浄作用では治まらなくなり、社会規範やそれに伴う法律、国際条約を必要以上にに多く作らねばならないことになります。

 なんでもかんでもすべて世の中法律で解決出来るんだ、という成文法万能主義者的な考え方は、逆の意味で言うと「法がいちいち紙に書いてないと守れない、規範精神が欠落している人間」であるという「恥さらしな己」を、自らカミングアウトしているようなものです。

 もう一つ、法に頼り過ぎることは、「自分の自信のなさの表れ」でもあります。憲法で言えば、フランス憲法のように、「いかなる改正手続きも、領土の保全に侵害が加えられている時には開始されず、また、続行されることはできない」と書くことは、別段悪いことではありませんが、「政府」という権力ではなく、「国家」という本能の集合体制を守るためには、「外国による占領中には憲法は改正できない」ということは本来当たり前の事であって、自分たちが遵守する必要があって制定した憲法にわざわざ書く必要もないことです。

 それでもフランスは、過去にドイツに占領された事から残る将来への不安感を少しでも拭うためには、書かなければならないと感じたのでしょう。しかしながら、書いていたとしても書かれていなくても、国家の滅亡(ディヴェラティオ)でない限り、占領中の憲法改廃は本能論から言えば必然的に「無効」にならざる得ない事はこれまでの記事で書いてきた通りです。

 前に、丸山代議士(弁護士)がテレビ番組で、「なんでもかんでも法を作れば良いってもんじゃないんだよ!」と、言っていた事に感心したのはそういう意味でです。思想的な差異は別としてですが、このときに私は、丸山弁護士は法の「本質」をよく理解しているんだな、と感じたのです。

 紙に書いてある法が増えるほど、世の中の秩序が乱れていると言うことです。やはり文章化された法も基本的には「有効」か「無効」かの排中律を基にする限り、論理学の域を出ることはなく、結局論理では解決出来ない「本能の問題」が残るだけです。話が少し飛躍しますが、それらの原因を突き詰めて考えていくと、やはり小さい頃の「教育」に問題があるという事に気づきます。

 だから、今あえて当たり前の事を書いている「教育勅語」を暗唱しなければならないんじゃないかと感じたのであり、それでまず実践してみようと思ったわけです。単に「昔が懐かしいから」とか、復古主義的に感じたのではなく、人間の本能精神の原点に今一度立ち返ってはどうかという、前向きな提案をしてみたわけです。
 (参考記事:http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-213.html

 最近は一部で、支那の孔子などで有名な「論語」を読ませる教室などが話題のようですが、わざわざ遠い所の教えを拝借しないでも、我が國には古来よりすばらしい御神勅や勅語が沢山あります。当然儒学の影響を受けたものもあるでしょう。まずは身近なものから大切に護って行けば、それで良いのではないでしょうか。

 話題が国民主権だといくらでも書けそうで、また話が長くなってきましたが下の帝國憲法下の正統法体系であれば、そうした自立再生的な精神が残っていたと思われます。植物の栽培でも同じことが言えるのかもしれませんが、他人と必要以上に絡む(グローバリズム、過保護、過干渉)とろくな事がないことは、今の米国発の経済不況の結果を見れば説明不要でしょう。「経世済民」に全くなっていないのが今の経済です。

 (縦の矢印は時間の経過軸です。つまり、我が國で言えば皇統であり伝統です。)
帝國憲法下
 見ての通り、帝國憲法下では國體(わ、和、輪、倭、環)にすべて覆われている状態ですから、限りなく「真円(まんまる)」に近くなり、地球のように安定した速度で「自転」する事が出来ます。この時点では、国際条約が我が國に与える影響はさほど大きくはなく、自浄作用で十分事足りる程度です。

 しかし、大東亜戦争後の占領後の我が國の取り巻く状況は一変し、GHQの軍事占領に伴って、占領憲法を押し付けられた状態になると、途端に「国際条約」が我が國の中で幅を利かせるようになります。その手始めとして、日米安全保障条約が締結され、日本はGHQ占領期の直接統治が終わったはずの後になっても、日本国内の重要地点に米軍基地を置かざる得なくなり、事実上の間接統治が今もなお続いている状態です。
占領憲法下
 占領憲法を制定するとい「GHQの行為」が、前から指摘があったように戦時の国際条約であったヘーグ陸戦条約に違反しているわけなのですが、これは結局米国の趣旨に沿ってあたかも正式に帝國憲法を改正したかのように偽装させられて、臣民を騙す形で占領憲法が制定されたのでした。

 この絵で視覚的に見て頂いても判るように、帝國憲法下では國體が「真円」だったのに、占領後の國際条約などが大きく我が國へ影響を及ぼすようになると、全体的に「真円」ではなく、一部が出っ張る形の歪な「楕円」となっている事がわかります。こうなると、それまで地球のように安定して「自転」していた我が國に、妙な遠心力が加わり、非常に不安定な「自転」となり、基軸である皇統や伝統に微妙なズレを生じるさせる原因となります。コマのように、遠心力が次第になくなってきて軸がブレてき倒れるかのようにです。

 その「軸ズレ」が、今のわが國の臣民である「日本人」の精神に大きな影響を与えているのであり、占領憲法統治による「傀儡天皇制」となると、年を重ねるごとに「アノミー現象(無規範状態)」が強くなり、社会が次第に無法状態、または違法状態へと進み、おのずと自らを縛ることが判っていたとしても、嫌々ながら「紙に書いた法律」を大量に産生しなければ、秩序や精神が自立して保てなくなるようになります。

 そして、一部で最近言われだしているようですが、「靖國神社参拝法(?)」などと言う法提案も同じような心理状況として例えることが出来そうです。すでに施行されている、「国歌・国旗」の法律も同じことで、自分自身の自信のなさを、法律という「絆創膏」を貼って隠すかのような、対症療法的な対応方法しか発想できなくなっているわけです。

 これに対しては、「今の日本の精神は、法律にしなければならないほど退廃しているのだから、仕方がない」という情緒的な側面からの批判があります。まるで、「占領憲法は無効だと心情的に理解するが、戦後60年以上も経過している現状を鑑みれば、現行憲法も「憲法」として認めざる得ないのではないか。」などという、八木秀次のような「後発的有効論」とよく似た思考停止回路のようです。

 こういう考え方の人に限って、自分が「軸ズレ」を起こしている事に気がついていない人が多いようです。または、間違いに気づいていたとしても、これまでの自分の発言や論理からすると、間違いを認める事が嫌で、恥をかくのが嫌だからと思うのでしょう。営業右翼、営業保守の人であれば「仕事が来なくなるか食いっぱぐれる」という理由もあるのでしょう。

 しかし、間違いを訂正するだけで良い人ならば、これから訂正すれば良いではないですか。われわれ多くの日本人は戦後の歪んだ教育と言論空間で、いわば「洗脳」されてきたのですから、これまで間違って考えてきた事もおかしくはないし、それに気づいて訂正することは何ら恥ではないではないですか。かくいう私も、元々「なんとなく占領憲法改憲論者」だった事をカミングアウトし、その間違いを完全に認めた上で、このように訂正して述べさせて頂いているのですから。

 「改憲!」と言ってきた人は、これからは「帝國憲法の改憲!」と言い換えれば良い。 「破棄だ!」と言ってきた人も、これからは「占領憲法は講和条約として破棄だ!」と言い換えれば良い。 「自主憲法制定!」や「新憲法制定!」とこれまで叫んできた人は、「元から存在する自主憲法に戻せ!」と、これからは言えば良いではないですか。

 使ってきた単語を変えずとも、そういう風に訂正すればスムーズに、大日本帝國憲法の護憲論者、つまり「真正護憲論者」へと、己の「軸ズレ」を修正することが出来るではないですか。

 そして話を「靖國神社参拝法」に戻しますが、法の論理からすれば「諸刃の剣」であると反論せざる得ない。

 では、反国家的な日本が嫌いな勢力に、「靖國神社などの宗教施設への参拝は日本国(占領)憲法違反だ!」と反論されたらどのように答えるのですか?占領憲法を「有効」として認めるならば、宗教法人である「靖國神社」への参拝を法律で強制することは、明らかに占領憲法第二十条違反ですよ。

 まさか、「創価学会という宗教も、公明党と言う出先機関を使って政治へ介入しているではないか!」などと反論するのではないでしょうね?こんな、「路上駐車禁止区域に、あいつも堂々と路上駐車しているのに、何で俺もしてはならないんだ?」などと同等な稚拙な反論は、「私は遵法精神の欠片もありません」と述べている事に等しいのであり、そんな嘘つきで傲慢な大人に子供を教育する資格すらない。

 自分が「有効」と認めている、「占領憲法」すらも護れないのならば、その下位法規で人様を縛るなどという恥知らずなことはするんじゃない!、と私は思いますがいかがでしょうか。

 結局、日本国憲法という占領憲法が金科玉条のように信奉している「国民主権主義」という思想を基準にした民主主義は、このような「遵法精神が欠落した人間」の主張をも多数決で「有効」とさせる、恐ろしい思想であり政治システムであると断言できるのです。

 現在の西洋医学思想一辺倒な、対症療法のみの現代医学のように、法律による「継ぎはぎ」、「絆創膏」対応もその場しのぎににしか過ぎず、原因を解決することが出来ないで発生する「出血」とも例えることの出来る「自殺者」は、いくら社会保障制度改革や人権を声高に叫んだところで未だに増え続ける一方です。

 (違った観点から言うと、自殺者が増えると言うことは「人口調節を本能的に行っている」との意見もあるのかもしれませんが、ただでさえ長い記事が更に長くなるので、それに関してはここでは触れないでおきます。)

 やっと本題に戻りますが、今もそうですが米国は「国際連合」という誤訳の組織であるUN(=ユナイテッドネイションズ、連合国)を、時には利用し、時には無視する行為を繰り返しているわけです。我が國に対しては、占領憲法下で統治させれば、国際条約でもって何とでも利用できると考えた事も、今更説明するまでもないでしょう。その支配システムの根拠は、占領憲法の第98条にあることをこれまで何度も記事にさせて頂いたとおりです。
 (参照:http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-148.html

 日本国憲法 第10章
 
 第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。



 現在、我が國が批准している国際規約(条約)です。

  『市民的及び政治的権利に関する国際規約』より

 第24条

 1 すべての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的若しくは社会的出身、財産又は出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置について権利を有する。

 2 すべての児童は、出生の後直ちに登録され、かつ、氏名を有する。

 3 すべての児童は、国籍を取得する権利を有する。



占領憲法下 国籍法改正後
 
 もう、上記に挙げた過去記事と条文だけで、昨年の国籍法改正の根拠としては十分です。占領憲法には、改正国籍法の「外国人との間に生まれた子供を、日本人が認知するだけで国籍が得られる」、とした内容を認めるだけの根拠と解釈は十分あります。

 これで外国人の範囲が日本の国籍まで迫ってきました。将来はその子供が成人すると参政権が「日本国民」として当然与えられるのですから、事実上の外国人参政権を認めた事に等しい。その外国人を使って、米国や支那の内政干渉をも認めてしまったのです。

占領憲法下 外國人参政権施行後

 書いた自分で言うのもなんですが、文字で書かれて説明されるよりも、この図は本当に色々な観点と考察するきっかけを私に与えてくれています。もちろん表現の限界はありますが、更に改良を加えて行けば、様々な現象を説明する際の資料としても有用かもしれません。

 この図ですが、「円」や「楕円」で書いた事にも意味があります。最初は「四角」や、グラフ、表などで表現してみようと思ったのですが、中々良いイメージが出てきませんでした。それもそのはず、実際に我が國は今、鋭利な刃物で刺されるような物理的な戦争をしているのではなく、「情報戦」という極めてヴァーチャル的でなかなか文章として表現しにくい戦争を仕掛けられているからです。

 こうした手法はいわゆる「洗脳」と呼ばれているものですが、魚(日本人)が入った釜を火にかけて徐々に熱する事で、気づかない内に釜茹でにしてしまおうという戦略をイメージするには、「円」や「楕円」を用いた方が表現し易かったからです。

 占領憲法体制下では、主に米国や支那内に存在する共産主義的勢力は、国際条約を盾にして国籍法改正、外国人参政権、移民植民推進などを推進することによって、兵器や軍隊による武力行使をせずに労せずとも我が國の伝統文化解体を進めることが出来ます。

占領憲法下 日本共和国後

 さあ、最後の図まで来るとおわかりのように、天皇が仮に傀儡天皇制として存在していたとしても、イギリス王室がほぼドイツ人と言っても過言ではないジョージ1世を、ただ「プロテスタント」だという理由だけで国王として迎え入れたように、占領憲法を護持すればいずれ天皇も「外国人」でもよいという理屈と現実を受け入れざる得なくなるかも知れません。

 はたまた、天皇抜きの民族主義というより、反天皇の民族主義と同じように反天皇の共和国として、革命で伝統の一つを失ってしまったフランスのように、国民主権でその伝統があたかも続いているかのように錯覚しながら、空虚な傀儡天皇制を維持する、何の信念も至誠も無い「偽りの伝統国家」を当然のように受け入れてしまっている「元日本人」が今よりもっともっと増えるのかもしれません。

 このような考え方を受け入れる素質がある人は、平然と天皇陛下の写真を踏み絵にして、「私は日本人だ」と言えるような人なのかもしれません。

 (次回は、「食料と自存自衛」と、「占領憲法9条と自然権」についてです。)

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Tag : 大日本帝国憲法 占領憲法 日本国憲法 国籍法 外国人地方参政権

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