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理性ではなく本能の退化

理性ではなく本能の退化が著しい

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 非常に気になる報道を見たので、二つほど引用しておきたいと思ひます。

 乳児放置死の女子高生「出産前に殺す覚悟」 殺人容疑で追送検(産経ニュース)

 神戸市北区の側溝で生後間もない男児の遺体が見つかった事件で、兵庫県警は18日、出産直後に男児を殺害したとして、殺人容疑で同市北区の私立高校3年の女子生徒(18)=死体遺棄容疑で逮捕=を追送検した。女子生徒は「育てられないと思い、生まれたら殺すつもりだった」と容疑を認めているという。

 追送検容疑は7月13日午前、同市北区の量販店のトイレで出産後、男児を便器の水につけたまま放置し、窒息死させたとしている。

 県警によると、女子生徒は、男児の遺体をいったん自宅に持ち帰り、7月19日にポリ袋などにくるんで紙袋に入れて遺棄したという。

 これまでの県警の調べに女子生徒は「出産後は生きていたが、(放置していたら)その後動かなくなった」と供述していた。




 「育てるのが嫌だった」 ロッカーに乳児遺棄容疑、無職女を逮捕 大阪府警(産経ニュース)

 大阪府豊中市の阪急豊中駅のコインロッカーから、ポリ袋に入った新生児の遺体が見つかった事件で、豊中署は24日、死体遺棄容疑で住所不定、無職、稲谷美保容疑者(30)を逮捕した。豊中署によると、「豊中駅前の女子トイレで産み落とした。育てるのが嫌だった」と容疑を認めているという。

 逮捕容疑は、5月28日午前10時ごろ、生後まもない女児の遺体を黒いポリ袋に入れ、豊中駅のロッカーに遺棄したとしている。

 利用期限切れの荷物を回収していた阪急梅田駅構内管理事務所が今月7日、「袋から異臭がする」と届け出て死体遺棄が発覚。豊中署が防犯カメラの映像から稲谷容疑者を特定した。



 政治とは直接関係が無いと言えばそうなのかも知れませんが、いずれにしても現代が抱える病巣の一つと言つても過言ではないと思ひます。

 http://blog.goo.ne.jp/yun26/e/41b6cbabe00884340e8da0ba2c20aee2(リンク貼つてません)

 上記のブログを書かれている方も仰つていますが、物が溢れて裕福過ぎるんだな、という理由も子殺しの一つには間違いないとは思います。

 私も色々と調べている中でも、昭和以前のみならず、古くから日本の各地で子供の間引きは風習としてかなりの数で行われていたやうです。

 我々のやうな現代の感覚で言えば、「なんちゅう恐ろしいことを・・・」という事になりませうが、当時としてそれは普通のことだつたのでせう。

 昔も、引用した記事のやうな理由で間引きを行つていた事もあつたのかもしれませんが、現代の子殺しが昔と根本的に違う理由としては、「人数が増えると家族を養つていけなくなる」といふ理由では無い、というところにあるでせう。

 同じ子殺しには違いありませんが、家族を守る(=種族保存本能)間引きではなく、「自分が育てるのが嫌」という気分的な理由で、子供を殺している。

 昔よりも現代の我の國の方がはるかに子供が育てやすい環境であるし、避妊用具も充実している訳ですから、「今自分が子供を産めば生活して行けない」とすこし思えば避妊出来るのに、何故このような事件が度々起こるのか。

 やはりその原因は、「種族保存本能の退化」が原因ではないかと思ひます。

 「命の大切さ」を理屈で教えるだけの「理性的教育」という個人主義の教育では、論理的帰結として、家族を守るためという理由ではなく「自分の自身の命が一番大事」という発想の、歪んだ自己保存本能を生み出すだけです。

 かうした個人の権利ばかりを主張する社会風潮になればなるほど、対人関係においても爭い事が増え、ますます個人主義関係が深まり、歪んだ形の子殺しが増えてゆくと思ひます。

 「子供を産んだらちゃんと教育して育てなくてはならない」などという法律などないのですから、家族を繁栄させてゆくためには必然的に、大人から子供に経験を伝承して行かねばならない規範ではないかと思ひます。

 これが出来ていないのならば、そもそも人間は人間自らの理念で大昔で滅びていたでせう。生を受けた以上、それを嫌でも粛々と日々実践して行かねばならない。「人間は何故生きやうとするのか?」などという答えは、理性や、理屈、理念、宗教などでは到底説明は出来ない。

 「保守」という思想は、そもそもかうして人間が生きて行く上で当たり前の事を、だたただ継承してゆくだけのことなのだと思ひます。

 政治思想が右翼であろうと左翼であろうと、人間のみならず生物すべてが逃れなれない自然の摂理はすべて伝統でのみ受け継がれて行くのですから、これを否定するのであればその先は人類そのものの滅亡しか論理的には答えはありません。

 毎日会社で顔を合わせればお互いに挨拶をする、これもお互いの生命と存在を維持して行くために自然と行われている習慣であり、明文化されない法律、根本規範であり、保守思想なのでせう。

 毎朝、お天気の話題で挨拶を交わすことは大した事ではないのかもしれませぬ。しかし、そのやうな小さな「伝統の積み重ね」によつて心豊かな生活を営むことが出来るということ、この事こそ先人たちが伝え残してくれた叡智の一つなのかもしれません。
 
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テーマ : 国家論・憲法総論 - ジャンル : 政治・経済

Tag : 国家論 伝統 継承 保守

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