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天皇主権は否定しないと!

天皇主権で解釈を試みましたが・・・

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 以前に別のエントリーで議論していた事なのですが、中途半端に終わってしまっていましたので、ここでちゃんと再開しようと思います。私も一応”大人”ですから、稚拙なレッテル貼りに何時までもグズグズ隠れてコソコソ悪口をいう趣味の悪い癖などありませんから、公明正大に議論をしようではありませんか。

 さてさて、【2月26日記事「貴方は何を保守したいの?」 】から引用いたします。エントリー本文はリンク先でご参照ください。

こんにちは、ステラです。以前にもこちらに投稿したと思いますが・・・いろいろな場所で同じような事を提言していますので、どこがどこだかわからなくなっています(´・∀・`)。

>「日本国憲法は、帝國憲法第75条に抵触する故に憲法として無効である!」

日本国憲法無効論を唱える方たちが異口同音に御発言されるものとして耳にしますが、・・・あたしからすれば単なる文章の読み違いであると思います。今はまだ簡単にしか「読みほぐして」いないのですが、以前に書いたものを紹介させていただきたいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/57291824.html
1,帝国憲法第75条違反・・・ではないのです

また既にご存知であるかと思われますが、下記動画「新無効論 「日本国憲法」は講和条約 (2-1) 南出喜久治」の5分40秒~7分10秒付近で南出弁護士が第75条違反について
http://www.youtube.com/watch?v=3pc-SCJncLk

「『通常予想される』変局時を予想してある」「占領下で天皇大権を行使できない状況」と述べられていますが、これが勘違いであると思います。

1,旧皇室典範第19条「天皇久キニ亘ルノ故障ニ依リ大政ヲ親ラスルコト能ハサルトキハ」・・・の状況が「帝国憲法皇室典範義解」では「皇室が避けることのできない変局」を避ける事とある。

2,その変局とは「天皇が重病でリタイアして公職復帰が不可能」という事態に摂政がその代行をするという事であり、単に摂政就任在任中は憲法と皇室典範の改正はできないという事です。

3,「天皇大権を行使しえない」と南出弁護士は述べられていますが、1945年9月の降伏宣言署名は重光葵外相と梅津陸軍参謀総長に「署名の全権委任」。また同月27日に①自らマッカーサー元帥と会見をするという「天皇大権」を行使しているのですが・・・。

この状況は「行使しえない」のかどうか!? 少々長くなりましたが少なくとも文章をつなぎ合わせていけぱ、憲法改正が帝国憲法第75条違反ではないという事がわかるのでは・・・と思います。

| ステラ | 2009/02/26 13:15 | URL |



ステラさん

 ステラさんのご説は、我々が「占領憲法の無効性」の認識をさらに深めるに当たって非常に参考になっております。まずは感謝申し上げなければなりませんね。そして、soramameさんとアイサイさんがすでに質問の大半を仰って下さっているので、私からは数点まずお聞きします。

 まず、ステラさんと我々どもの「占領(何処から何処までが占領期間であったのか?)と主権」の定義が違うように思います。これでは天皇大権の発動についての議論も噛み合いませんので、ご面倒をお掛けしますが、ステラさんの定義をご教示ください。

 「天皇大権を行使しえない」に対する反論で、先帝陛下がマッカーサーに会われた行為は、天皇大権でも何の大権なのでしょうか?そして、ミズーリでの降伏文書調印と、先帝陛下がマッカーサーにお会いになられた事をセットにして反証とされている根拠は何でしょうか?

 アイサイさんがご教示くださいました南出先生の「國體護持(条約考)」等も一度ご参考になさってください。ちなみに私もレスが早い方ではありませんので気長にお付き合いくださいね。

| dandy | 2009/02/27 23:25 | URL | ≫ EDIT



dandyさん 2009/02/27 23:25の質問に対するご回答

>まず、ステラさんと我々どもの「占領(何処から何処までが占領期間であったのか?)と主権」の定義が違うように思います。これでは天皇大権の発動についての議論も噛み合いませんので、ご面倒をお掛けしますが、ステラさんの定義をご教示ください。

回答1,…ご回答は亀の如きのステラです。占領期間であるのはミズーリ号上での署名よりサンフランシスコ講和条約発効の1952年4月28日までと認識しています。

また、GHQは主権というより間接統治権があっただけだと思います。当時GHQ草案の憲法を押付けられたといっても、帝国議会を通さずに公布してはいません。②GHQの認可がなければ公布できないといえども、ポツダム宣言第10条に即したものを彼らが求めていたのだから当然のことでしょう。

本当に日本の統治権が奪われていたなら、満州国のような傀儡政権や「足利義昭の亡命政府」のようになっていたかもしれません。③当時の帝国政府などで公職追放などはありましたが、定数2/3以上の追放で「GHQ党員の臨時内閣」もありませんでしたので、その意味では日本に主権があったと思います。

>「天皇大権を行使しえない」に対する反論で、先帝陛下がマッカーサーに会われた行為は、天皇大権でも何の大権なのでしょうか?そして、ミズーリでの降伏文書調印と、先帝陛下がマッカーサーにお会いになられた事をセットにして反証とされている根拠は何でしょうか?

回答2,④マッカーサーとの会談は計11回ほどで、後の東京裁判や講和条約に先立つ「中間講和」であり帝国憲法第13条「…和ヲ講シ…」であり、その会見の内容で「国体護持」が改めて守られたのではないでしょうか。

 同様に降伏文書調印も帝国憲法による全権を持つ昭和天皇が「外交」と「軍事」のそれぞれの最高責任者に「行かせる」事を「命令」して、その「人選」をGHQも拒否しなかった…と思われますので、セットでの反証とさせていただいています。

 間接統治についてはこちらでも掲載したことがありますが…。
http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/58573934.html

| ステラ | 2009/03/16 19:10 | URL | ≫ EDIT




 おはよう、ステラさん

>公職追放などはありましたが

 公職追放を非常に軽く見られている様にお見受けします。昭和20年5月4日鳩山一郎、同21年5月17日石橋湛山、同23年1月13日平野力三を公職追放した「3大政治パージ」をはじめ、何百人もの政治家、国会議員が排除されています。これだけ立法府(行政府もですが・・・)が侵されている状態でも「主権があった」とするには理解に苦しみます。そんな中でステラさんは「GHQの認可がなければ公布できない」と仰るように、形式上帝國議会を通じて天皇が公布という事に表面上はなっていますが実質「GHQの主権」の元に占領と占領憲法制定が進められていたと認識する方が自然だと私は考えます。どうもこの辺りの認識の溝はステラさんとは埋めようが無いような気がします。憲法に関してもポツダム宣言第10条に改憲を求めるような文言は一切ありませんね。

>回答2,

 つまり講和大権を自ら行使されたと言われたいのでしょうけれども、それが何故「国体護持」に繋がるのでしょうか?恐らくステラさんは戦前は「天皇主権」で見られているようですが、それで仮定したとしてマッカーサーとの会談が帝國憲法13条による「中間講和」なのであれば、その後に公布された占領憲法も中間講和の一部と見なければならないでしょう。天皇陛下が「おう、俺がマッカーサーと話をつけてきたから、帝國議会はその通りにしろ」と。となると、GHQの認可がなければ公布できない」と仰る通り、いくら天皇陛下といえどもマッカーサーが納得しない結論では物別れになっていた、と言うことになります。これはまさしくGHQ、マッカーサーに主権があったと見なければなりませんね。

| dandy | 2009/03/17 09:00 | URL | ≫ EDIT



 ステラさんはまず「天皇主権」、つまり戦前は外交や軍事など帝國憲法に基づいて天皇がすべてを決定する権限があったという前提で話をされています。

 帝國憲法を読めば天皇に主権が無い事は誰でもわかる事で、憲法にあれやこれやと制限される「主権者」など、主権があるとは言えない事は当り前の話なんですが、ここでは100歩こちらが控えて敢えてそれは置いといて取りあえずステラさんの前提で話をしましょうか。

 ポイントの整理です。

 ①自らマッカーサー元帥と会見をするという「天皇大権」を行使している

 ②GHQの認可がなければ公布できない

 ③当時の帝国政府などで公職追放などはありましたが、…日本(天皇)に主権があったと思います。

 ④マッカーサーとの会談は計11回ほどで、後の東京裁判や講和条約に先立つ「中間講和」であり帝国憲法第13条「…和ヲ講シ…」であり、その会見の内容で「国体護持」が改めて守られたのではないでしょうか。



 帝國憲法下の日本は「天皇主権」であり、「天皇大権」を行使してマッカーサーと話あったと。が、しかしGHQの許可が無ければ憲法の公布は出来なかった。帝國政府においてはGHQによる「公職追放」や「衆議院議員追放」などがあったが、当時は「天皇主権」であったからとにかく形式的にでも帝國議会を通せば憲法改正もなんとかなった。

 先帝陛下はマッカーサーと計11回ほど会われ、東京裁判と桑港条約(サンフランシスコ条約)締結の為の「中間講和」を帝國憲法に基づいて大権行使されたと。

 となれば、占領憲法は先帝陛下が自ら講和大権を行使し、マッカーサー及びGHQとの合意のもとで帝國議会を通して公布されたものであるから、占領憲法(日本國憲法)は講和条約レベルとしてなら有効であると言わなければ辻褄が合わなくなりますね。

 我々は「國民主権」も否定していますが、「天皇主権」ももちろん全面的に否定した上で、「占領憲法は講和条約の限度において有効だが憲法としては無效である」と言っているわけですが、どちらにしても「天皇主権」であってもなくてもその上位に帝國憲法が存在しなければ、講和大権を行使して戦争の終結条約である桑港条約は締結出来ませんね。「戦争の放棄」と、「交戦権」を認めていない占領憲法では講和条約は締結出来ません。

 結局、いくら詭弁を弄しようとも、帝國憲法第13条が実効性を持たない限り、天皇は法的根拠をもって「講和大権」を行使し得ないのであって、それ以外に法的根拠を求める物が存在しない限り、天皇主権論であろうが無かろうがどちらにしても、桑港講和を結んだという行為は同時に帝國憲法第13条の実効性を証明するものとなるのです。

 「天皇主権」を前提に述べましたので、ここまでの説明の中にも多数の矛盾点、疑問点がありますが、それは敢えて触れませんでした。何かご反論があれば大いにどうぞ。何時でもお待ちしていますよ。

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テーマ : 日本国憲法は無効です! - ジャンル : 政治・経済

Tag : 大日本帝国憲法 日本国憲法 占領憲法 天皇主権 天皇大権 講和大権 サンフランシスコ条約

COMMENTS

こんばんはdandy様。「天皇主権は否定しないと!」の記事を拝見させていただきました。・・・しかし、dandy様があたしの言いたい事を「勘違いして理解」しているような箇所がございます。

1,あたしは「天皇大権」があったと書いていますが「天皇主権」とは一言も書いていません。あくまでも天皇大権は枢密院というフィルターを通過しなければ天皇大権は行使できない趣旨として今まで書いてきました。

天皇大権=天皇主権であれば古代ローマ帝国の帝政時代の皇帝のように「大権」を持つようなイメージになると思いますが、天皇大権は古代ローマ共和制時代の「第一人者」のようなイメージであったと思います。

2,『占領憲法(日本國憲法)は講和条約レベルとしてなら有効であると言わなければ辻褄が合わなくなりますね。』(本文中より)

帝国憲法の改正手続きは昭和天皇が独自に進められるはずもなく、昭和天皇とマッカーサー元帥が会談したとしてもその意図を帝国議会に推進して、最終的には帝国議会の「担当者達」とGHQ民政局との「話し合い」で憲法改正作業が進められていたのではないでしょうか?

ポツダム宣言を受託したのであれば同第10条と同第11条が「最高規範の改正及び戦犯の取り扱い」について記載された文章であると理解できるのではないでしょうか。

またdandy様が「日本国憲法は中間条約」であると仰るのであれば、当時の帝国議会などで担当大臣などがそのように発言されている議事録もしくは回想録などがあればリンクしていただけると幸いです(m--m)。

ステラさん、こんにちは。

>回答2,④マッカーサーとの会談は計11回ほどで、後の東京裁判や講和条約に先立つ「中間講和」であり帝国憲法第13条「…和ヲ講シ…」であり、その会見の内容で「国体護持」が改めて守られたのではないでしょうか。

>またdandy様が「日本国憲法は中間条約」・・・

 と言うことは、ステラさんは日本国憲法に限っては「中間講和」の一つではない、と仰りたいわけですね。天皇陛下とマッカーサーとの会談は「中間講和」であったが、その中で憲法改正に関しての話はなかったと。

であるならば、

昭和天皇とマッカーサー元帥が会談したとしてもその意図を帝国議会に推進して、最終的には帝国議会の「担当者達」とGHQ民政局との「話し合い」で憲法改正作業が進められていたのではないでしょうか?

 ↑と矛盾していますが?

>ポツダム宣言を受託したのであれば同第10条と同第11条が「最高規範の改正及び戦犯の取り扱い」について記載された文章であると理解できるのではないでしょうか。

 ステラさんは、帝國憲法第75条は反対解釈で、ポツダム宣言は類推(拡大)解釈されるのですね。何度も言っていますが、ポツダム宣言には憲法改正を求める様な文言は一切ありませんね。平然と「ダブルスタンダード(二重基準、ご都合主義)」をされる理由は何でしょうか?

>「ポツダム宣言は国内法としての力を持って居る」
(http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/59195722.htmlより)

 「ポツダム宣言が国内法としての力を持つ」と言う事は、帝國憲法下に置いてですよね。なのにも関わらず、帝國憲法第75条は反対解釈で、ポツダム宣言の第10条らは拡大解釈ですか?子亀が親亀をひっくり返すような論理ですね。その理由は?


>、「修正帝国憲法改正案」の作業は帝国憲法第73条により帝国議会に付されていると考えるのが自然です。
(http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/59195722.htmlより)

 えぇ・・・帝國憲法第73条第1項の改正条項は、憲法改正の発議権は天皇の一身専属であるはずですが。。。天皇を差し置いてGHQ草案なるものを基準として帝國政府に対し改正を強制した事が、発議大権を侵害する行為になり帝國憲法73条違反でしょう。発議大権の侵害と言うより、簒奪と言っても過言では無いですね。ポツダム宣言という国内法が、天皇の改正大権まで簒奪していたのですね。

 さぁどうですか?

> そうであれば帝国政府とGHQ民政局との憲法改正についての話し合いが「輪転機」であるならば、昭和天皇とマッカーサー元帥との11回の会見はあくまでもそれらの「潤滑油」という関係であると思います。
 (http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/59195722.htmlより)

 そうですか、先帝陛下とマッカーサーの会談は、少なからず憲法改正に関係していたのですね。

 しかし、

マッカーサーとの会談は計11回ほどで、後の東京裁判や講和条約に先立つ「中間講和」であり帝国憲法第13条「…和ヲ講シ…」であり、

 なのですよね?

>dandyさん 2009/04/28 19:06

dandyさんの上記ご質問に関し自分のブログでエントリーを立てて返答させていただいています。wordで下書きしたら思ったより長くなったし|ω・壁。

それに続くご質問には改めてご返答させていただきますので、しばらくお待ちください。

http://blogs.yahoo.co.jp/stellar_mimiru/59258139.html
「中間講和条約? 1」

ステラさん

 どうぞどうぞ、ごゆっくりと。こちらもエントリーで御質問いたしますので、よろしくお願いします。と、言いますか私はステラさんの発言だけを基に質問しているだけなので楽ですが。(笑)

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