スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 クリックお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング
 こちらもクリックお願いします。
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング

続々・いはゆる『保守論壇』に問ふ

続々・いはゆる『保守論壇』に問ふ

 人気BlogRanking FC2BlogRanking.gif


 本日も引き続き、辯護士でいらっしゃる、南出喜久治先生の時事コラム(?)より、引用させて頂きます。

 前々回、前回の記事はこちらです。↓
 前々回 http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-166.html
 前回 http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-167.html

 正統仮名づかいで記されておられるので、戦後仮名づかいへ変換して読まれたい方は、下記サイトで色々と紹介されているようなので、ご利用下さい。

 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1178630.html 

 いはゆる「保守論壇」に問ふ(その七)

                      -ミサイルと拉致と國籍-

                 辯護士 南出喜久治(平成二十一年五月十一日記す)

 (~前回からのつづき~)

 (似非保守の正體)

 不思議な話と言へば、他にもある。それは、占領憲法の改正論者(有效論者)は、私が構築した新無効論に対して「學理的な反論」をせずに専ら沈黙してゐることである。私は、ネット社會に生息する者ではなく、支援者のホームページにずつと「下宿」させてもらつてをり、これからもしばらくの間はこの居候生活は續くと思ふが、關係者の協力によつてPDF版の『國體護持』を昨年發表し、今年四月には、その部分的な概説書である『占領憲法の正體』(国書刊行会)を上梓した。また、これに先だつて、一昨年に『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社)も上梓してゐる。従つて、もうそろそろ學理的な批判や反論が出てきても不思議ではない程度の時間が經過したはずである。にもかかはらず、正式に反論がないのは有效論者には學問的な誠意がないのか、學問的怠慢として新無效論を知らなかつたのかのいづれかである。そこで、善意に受け止めて、知らなかつたものと理解して、これからは積極的に有效論者各人毎に公開討論を申し込んでそれを實施する予定であるので、支援者各位には是非ともその協力を願ひたい。

 ともあれ、これまで、新無效論に對する批判としては、學理的なものはなかつたが、政策論的なものがあつたと理解してゐる。インターネット上でも政策論的な批判があるやうだが、「匿名性」が本質であるこの社會における批判には對應するつもりはない。そもそも、私の『國體護持』と『占領憲法の正體』を讀まずして揶揄するだけの匿名の雑音を相手にするつもりはない。それは、「匿名性」の性格が、裁判員制度における匿名原則と同樣に、「無責任性」の温床であるから禁忌するのである。もし、批判するのであれば、堂々と實名を明らかにして公開の場でなされるべきものであり、さうであれば勿論これに應ずる用意はある。

 思ふに、新無效論に対する政策論的な批判は、およそ次の三つの觀點であると考へられる。ひとつは、「新規性」の觀點であり、ふたつ目は「實現可能性」の觀點であり、そして、最後は、「背信性」の觀點である。

 まづ、新規性の觀點からの批判といふのは、新無效論のやうな見解やこれを根據づけるやうな見解を今までの政治家や官僚や學者などのにうちで誰か主張した人があるのか、無ければ學問的に通用するものではない、といふやうな類のものである。新規性に價値を見出さない、つまり、新規の見解は無價値であり、いかがはしいものであるといふ思想である。先例や實績があるものでなければ學説として認知することはできず、權威ある學者が唱へてをらず學會で主流となつてゐないものは無價値であるとするのである。これは、新規性こそが價値の源泉であるとする知的財産権の「發明」の世界とは全く逆の發想である。しかし、初めに眞實を語る者は常に異端とされるのがこれまでの歴史である。これは、科學の發展を否定する見解であり、ガリレオやコペルニクスなどを葬り去つた宗教的原理主義と同じものに他ならない。似非保守が新無效論を無視といふ迫害を續けるのは、そのやうな態度をとり續けなければ既得權益が守れないためであり、非科學的、非論理的な體質が染み込んでゐることを證明してゐることになる。

 ところが、このやうに「新規性」を無價値あるいは惡と評價する一方で、こんどは、占領憲法を「改正」することの動機として、占領憲法が時代に合はない古いものとなつたから時代を先取りする「新しい憲法」にしなければならない、といふやうに、古いことを惡とし、新しいことを善とする、まさに「新規性」に絶大の價値があると主張するのであるから全く以て支離滅裂なのである。一方で、歴史や傳統を重んじ、他方で、歴史や傳統を弊履の如く廢棄する、まさに鐵面皮の二重基準である。

 次に、「實現可能性」の觀點からの批判がある。これは、今の政治状況では新無效論による國法體系の整序が實現しえないといふ批判である。しかし、實現可能性といふのは、あくまでも豫測であり相對評價である。したがつて、新無效論によつて法體系を整序することの方が、改正論によるそれよりも遥かに實現可能性があり、改正論は現時點において實現不可能と判斷されるのである。改正論者がこのことを自覺しようとしないのは、これまでも繰り返し述べてきたとほりである。

 最後に、「背信性」の觀點からの批判がある。これは、改正論からすると、これまで改正論が培つてきた祖國再生への努力を新無效論は水泡に帰せしめるものであり、新無效論の運動は裏切り行爲の言動に他ならないとする怨み節である。また、批判するにしても言葉を選んで節度を保つべきであるとし、改正論を反日思想であるなどと禮儀を失した過激な批判と攻撃は護憲論を擁護する利敵行爲であるとするのである。

 しかし、これらの批判は、そのまま熨斗をつけてお返しする。改正論こそ、護憲論と同樣に占領憲法を有效であるとする共通の土俵(マッカーサーの手のひらの上)に立ち、これまで無效論を彈壓し排斥してきたではないか。無效論が築かうとした憲法體系を護憲論と共謀して否定し占領政策に加担し續けたのは一體誰なのか。しかも、無效論に対する誹謗中傷の限りをつくしてきたのは誰であつたのか。そもそも占領憲法が制定された時は、マッカーサーの命令と指示に隷属して利權を貪つてきただけで、改正論を唱へれば政局になるとの不安から殆ど主張してこなかつたではないか。そのころは、無效論以外はすべてが護憲論(有效論)であつた。改正論は、護憲論を母體として枝分かれした亞流にすぎないものであり、護憲論と改正論とは祖國に対して背信行爲をし續けた反日兄弟なのである。

  (似非保守の限界)

 思ふに、似非保守(改正論者)は、一體何を基軸に立て、何を法的根據として祖國再生の運動をするのであらうか、と素朴な疑問を抱く人は多いはずである。もし、占領憲法を基軸と根據として祖國再生運動をするといふのであれば、それは自己矛盾の敗北主義であることを自覺してゐるのであらうか。「國體破壞の占領憲法を遵守して國體護持を實現する」といふのは、論理學でいふ「形容矛盾」の一種である。

 占領典範の改惡法案(皇統斷絶促進法案)、教育基本法(祖國喪失教育促進法)、男女共同參画社會基本法(家族的協業破壞促進法)、夫婦別姓法案(家族分斷促進法案)、人權擁護法案(傳統保守思想彈壓法案)、國籍法の改惡(國籍廢止法、日本人消滅法)など、枚擧に暇がないほど祖國崩壞の危機にさらされてゐる原因は、まさに占領憲法の思想的な徹底追及とその完全實施の方向に立法化が進んでゐるためである。

 占領憲法を肯定しつつその内容と方向性を拒否することなど到底不可能である。たとへば、國籍法第三条第一項が占領憲法第十四条第一項に違反するとした平成二十一年六月四日の最高裁判所大法廷判決に基づいて國籍法が改正された點についても、これを阻止しうる論理を占領憲法自體から見出すことは殆ど不可能である。

 占領憲法第十条は、「日本國民たる要件は、法律でこれを定める。」とし、同法第十四條第一項には、「すべて國民は、法の下に平等であつて、人種、信條、性別、社會的身分又は門地により、政治的、經濟的又は社會的關係において、差別されない。」とされてをり、さらに、國籍法第三條第一項が「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未滿のもの(日本國民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本國民であつた場合において、その父又は母が現に日本國民であるとき、又はその死亡の時に日本國民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の國籍を取得することができる。」と規定されてゐることからすると、この判決は、結局のところ、占領憲法第十四條第一項の「すべて國民は」とあるのを「何人も」と読み替へ、さらに、國籍法第三條第一項の冒頭にある「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子」を「父母の認知した子」と読み替へて、占領憲法と國籍法の當該條項を最高裁判所が判決で勝手に「改正」した結果となつてゐる。全く出鱈目な判決ではあるが、形式解釋からは全く不可能なことではない。むしろ、これは占領憲法の趣旨に適合するのである。占領憲法は、そもそも占領下の非獨立時代のものであるから、「國籍」についての嚴格な姿勢を示してはゐない。むしろ、日本國民(日本臣民)全員が國家を喪失した「無國籍人」に等しい状態であり、占領憲法には、國籍否定の世界市民的思想(コスモポリタニズム)が濃厚であり、それは、これに基づいて成立した教育基本法が「無國籍の法律」であつたことからも頷けることである。

 現に、邦文の占領憲法の條文と「同等」の法的效力を有する英文占領憲法(英文官報に掲載された正式法文。これは、決して「占領憲法の英譯」ではなく、「もう一つの占領憲法」なのである。)によると、邦文占領憲法に「日本國民」と表現されてゐるのは、英文占領憲法では、「Japnes people」(前文、第九條)、「people」(第一條)、「Japnes national」(第十條)、「people of japan」(第九十七條)となつてゐる。また、同樣に、邦文占領憲法と英文占領憲法を比較すると、「國民」と表現されてゐるのは、「people」(第十一條、第十二條、第十五條、第三十條、第九十六條)であり、「すべて國民」と表現されてゐるのは、「All of the people」(第十四條)、「All people」(第二十五條ないし第二十七條)とある。

 これに對し、「何人」と表現されてゐるのは、「Every person」(第十六條、第十七條、第二十二條第一項)、「person」(第十八條、第二十條、第三十一條ないし第三十四條、第三十八條、第三十九條、第四十八條)、「all persons」(第二十二條第二項、第三十五條)、「any person」(第四十條)である。
 このことからすると、概ね「國民」は「people」に、「何人」は「person」にそれぞれ對應してゐるが、そもそもこのやうに明確に区分される根據はない。「Japnes people」(前文、第九條)、「Japnes national」(第十條)、「people of japan」(第九十七條)は「日本國民」と理解されるとしても、単なる「people」(第一條、第十一條、第十二條、第十四條、第十五條、第二十五條ないし第二十七條、第三十條、第九十六條)を「國民」のみに限定される根拠に乏しい。ましてや、「person」を「國民」に限定される根拠は全くなく、外國人を當然に含むものとされてゐる。

 さうすると、邦文占領憲法第十四條の「すべて國民」は、これと同格の法的效力を有する英文占領憲法第十四條の「All of the people」の邦譯を「すべての人民(何人)」と解釋してもよいことになる。

 しかして、英文占領憲法によつて無國籍化がさらに推進させる根拠となりうるのである。國籍の取得も、歸化も、そして在留資格の附與も、いづれもその要件は同等に緩和され、日本國籍とのハードルは低くなり、ついには消滅するに至る。それがGHQが占領憲法に與へたミッションなのである。

 そして、このやうにして希薄化する國籍傾向が突き進むと、拉致問題は自動的に完全消滅する。無國籍人は他の無國籍人が拉致されても助けなければならない理由は全くないからである。



 本年の3月21日記事では、占領憲法と國籍法の関連についてエントリーを上げていました。
 参照:http://dandyroads2.blog95.fc2.com/blog-entry-148.html

 上記エントリーを書くに当たって、占領憲法を再度読み直した訳ですが、國籍法改悪や外國人参政権はむしろ占領憲法自体が要求している、「合憲」な立法措置であると解釈する事も可能なのです。

 これら悪法を阻止する為には、その周知活動と同時に、「占領憲法は無効である」事も同時に訴えて行かねばならないと思います。でなければ結局「モグラ叩き」な状態のまま、延々と占領憲法に我々日本人は振り回される事になるのです。
 
 憲法というのは「訴え方の難しさ」というのも、周知する上での問題点としてあるかも知れません。一つの手段として、國籍法などの時事問題を絡めて、行くことが非常に効果的だと私は思います。

 そして、日本國憲法が憲法として「有効」であるとしながらも、「國籍法を再改正させよう!」などと訴えている「似非保守」の存在もあるようですから、これらの隠れ反日サヨク勢力には注意が必要です。

 新無効論を知らないから、と言うならばまだ話も分かりますが、その存在を承知の上で「八月革命説」を支持し、占領憲法を憲法としてひたすら擁護しているのですから、その属國意識と売國意識の強固さには愕然とする外ありません。

 私は小難しい事も偶に書きますが、訴えている事は非常にシンプルです。

 『帝國憲法に基づき、日本國憲法は憲法として「無効」であり、「講和条約」の限度で「有効」と認め「破棄」する。』

 更に平易に言えば、

 『自分の家(日本)の家訓(憲法)を、他人の家の者(GHQ)が、銃を片手に家に乗り込んできて変えさせるなんて、絶対許せない(無効)でしょ。早く家から出て行って欲しいから取りあえず言われる通りするけど(講和条約)、出て行った後はちゃんと元通りにしなきゃ(破棄)。』

 と言うことです。

 ちゃんと元通りの状態になったところで、本来の「日本國憲法」と堂々と胸を張って言えるのですが、今の国家破壊型の占領憲法など、恥ずかしくて自国の憲法などと言えません。

 この考え方に何か反論がある人が居るのでしょうか?いずれにしても、反論があること自体が不思議なので、是非その根拠とやらを「占領憲法有効論者」にお聞きしたい所なのですが、明確な答えを示した方は未だに誰一人として居ません。

 クリックをお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング

 こちらもクリックお願いします
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング


 クリックお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング
 こちらもクリックお願いします。
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング

Tag : 占領憲法 大日本帝国憲法 日本国憲法 国籍法 外国人地方参政権

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。