またまた騙されていませんか?
≪二大政党制という虚構≫
みなさま、こんにちは!今日も生かせて頂き感謝しております。
さて、世間では衆議院選挙がいよいよ盛り上がって?来ているようで、街中では毎日街頭演説、街宣の声を聞かない日が無いくらいです。
ひとつ心配事ですが、まさかとは思いますが、皆様はまたマスコミの洗脳誘導に引っ掛かってはいらっしゃいませんか?
今のマスコミは、
「政権選択の選挙だ!」
といっていますが、これは明らかに、
「二大政党制」
へ導くための洗脳報道です。
このブログをご覧くださっている方には、もうすでに釈迦に説法な話なんですが、自民党も民主党もすでに日本の伝統を護る保守政党ではありません。
自民党という難破船を選ぶか、民主党という泥船を選ぶかの違いであって、その隙間を埋めるように存在しているのが、創価学会=公明党、社民党、共産党という、日本の伝統が大変お嫌いな政党の方々です。
さらには、隙を狙ったように「幸福実現党」などという、如何わしいカルト政党まで出現している始末ですから、日本の政党でまともな政党は一つもありません。(國民新党はよくわかりませんので、除外します。)
こんな状況ですから、民主党はまず駄目だと批判して、まわりを見渡せばやっぱり自民党が一番まともだと考えてしまう気持を理解できなくもないですが、そんな事では何も日本は良くなりません。
単なる民主党批判だけでは何の建設的な議論もできません。
まず、日本古来からの文化伝統を護持し、民族精神的基軸として皇統を中心とした日本の國体を護ることが大前提にあって、国内の諸政策をどのように改善して行くかを考えられる、「国家観」が明確に打ち出せる政党でなければ、日本の政党としての要件は無いと思います。
どこまでも奴隷として扱って欲しいと懇願する占領憲法(日本國憲法)の護憲論者、
自分が自虐史観者である事に気付いていない占領憲法の改憲論者、
今生きている國民が何でも好きに決めて良いと勘違いしている傲慢な新憲法論者、
格好をつけているつもりが大変な勘違いをしている占領憲法の破棄(失効)論者
これらはすべて未だにGHQの手のひらで踊らされているに過ぎません。
こうして分類して行くとわかるのですが、世間で言われている「改憲派」というのは、占領憲法を護憲して改憲するという、単なる「護憲論」の仲間です。
つまり、日本共産党や社民党などの護憲論と、自民党や民主党などの改憲論などは、単なる「兄弟喧嘩」をしているだけに過ぎず、「どっちがマシか?」などという話ではなく、「どっちもどっち」なのであって、これらはすべて日本を悪い方向へ導く事には変わりないが、どんな色づけで悪くするかの違いしかありません。
ですから、現在のマスコミの報道も、「どっちも悪い奴らだけど、どっちの悪者が良いですか?」と、視聴者に洗脳しているだけであって、日本を良くしようとする視点は全くありません。
この手法は、営業職をしたことがある人はご存じの方もいらっしゃると思いますが、ダブルバインド法と言って、商品を買うつもりのない人に二者択一的に商品を勧め、半ば無理やり買わせる時によく使われる手法です。
商売においては特段悪い手法とは言い切れないのですが、それが政治に使われると非常に良くありません。実際はどっちも悪いのに、知らず知らずの内にどちらかの悪者に加担させられているのですから。
まだ、気づいていないだけなら良いのですが、確信犯的に「私は保守です!占領憲法を改憲(破棄)したいです!」という保守を偽装した方が割と多くいらっしゃいますが、これらはすべて日本をもっと悪い方向へ導きたい人たちです。
占領憲法の新無効論(真護憲論)は、伝統と豊かな文化溢れる日本を、今まで守り続けてきた祖先の「遺訓」を護るという、「謙虚」な態度の憲法論であり国家観です。
強者が一方的に弱者を支配する世の中では駄目です。(資本主義体制)
弱者が徒党を組んで強者を一方的に淘汰しようとする世の中でも駄目です。(共産革命主義)
しっかりとした両親が、力の弱い子供を広く包み込むような、
強者が弱者を護る日本でなくてはなりません。(皇国史観、大和主義)
今の占領憲法は国民主権主義を高らかに謳っています。これは上で書いた、資本主義という暴力による弱肉強食、「多数ならばそれが正義」という民主主義、共産革命主義という暴力思想を、明確に容認する憲法です。
そんな憲法なのですから、現在のような教育の崩壊、政治の腐臭、官僚の腐敗などが発生して当然です。そんな占領憲法を維持したまま、いくら「改革!改革!」と連呼しようとも、現在の国会で成立する法案はすべて「日本を悪くする」法案になってもおかしくはありません。
自民党 (占領憲法:改憲、新憲法制定)
民主党 (占領憲法:改憲、占領憲法護憲論)
その他 (占領憲法:改憲、占領憲法護憲論)
そうそう、最近よく周りに説明するんですが、今の国会に議席を保有している政党で、
「占領憲法を今のまま護りたいとする、護憲論の政党は無い」
という事を、よく認識しておいて頂きたいと思います。
議員個々の考え方の違いは多少ありますが、基本的には共産党も社民党も、「占領憲法の改憲」を目指している政党です。
理由は簡単です。
共産党や社民党などの、日本の伝統を否定する左派は、天皇制(革命用語)に反対ですから、占領憲法の天皇条項(第1章)を、本音のところを言えば削除したいのです。
彼ら左派が、やたらと「占領憲法9条を守れ!」というのは、自民党や民主党との憲法改正議論の中で、「憲法9条を改正させる代わりに、第1章の天皇条項を削除させる」という、政治的決着をつけるために撒いている「撒き餌」にしか過ぎません。
普段、「保守派」のように振舞っている自民党議員、民主党議員の中にも、このような折り合いをつけようと画策している者も隠れて存在しているでしょう。
彼らはその時の理由としてはこう言うはずです。
「憲法から天皇条項を削除する意味は、天皇を政治から出来る限り遠ざけるためだ。これは皇室を護るためになる。」 と。。。
どっかで聞いた事がある話ですね。そうです、幸福実現党が言っている事と同じことです。
幸福”降伏”実現党の正体(6月30日記事)
幸福”降伏”実現党の正体2(7月3日記事)
本来、我が日本での政治というのは、政(まつりごと)と言われるように、天皇が代々受け継いできた「祭祀」と密着した関係にあったものです。
というのも、あらゆる国家政策を実行するにあたり、國民の存在が不可欠である事は言うまでもありませんが、その國民の生命を維持するためには、当然「食べ物」が必要です。
そして、我が國は古くから「米」を主食としており、日本に風土に合った稲作が先祖代々受け継がれてきました。そんな五穀豊穣に感謝し祈りを捧げる祭祀として「新嘗祭」があります。
これは、我々日本人の祖先が本能的に、自然より勝る存在はこの世に存在せず、自らが今生かされている存在は先祖があるからであり、その先祖の存在も自然の存在なくしては存在しえない事を、理屈ではなく本能的に理解していたたからだと思います。
これに祈りを捧げ感謝する事が当然であると考えたため、新嘗祭のような祭祀が続けられてきたと、単純ながら私はそう思います。その時の時代背景に影響されて、いくつかの祭祀が少し途絶えてしまっていた事もありましたが、我が國においては今でもその意義の重要性は変わりがないと私は思います。
自然は理屈、理論では説明がつかないほど、人智では計り知れないものだと謙虚になるべきであり、その大斎主として、政(まつりごと)の中心として万世一系の天皇陛下の存在を我々は尊ばなければならないと思います。
「憲法から天皇条項を削除する意味は、天皇を政治から出来る限り遠ざけるためだ。これは皇室を護るためになる。」
などという、嘘八百に騙されないようにしましょう。
こんな事を言う者は、「國民主権なんだから、國民の多数決で決めた事なら何だって自由にできる!」という、傲慢で感謝の心を忘れた「人で無し」であると喝破しても過言ではありません。
そうなると、次の選挙に投票出来るのは、占領憲法を従来から否定している、西村眞吾代議士(改革クラブ)か、平沼赳夫代議士(平沼グループ)しかないでしょう。
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みなさま、こんにちは!今日も生かせて頂き感謝しております。
さて、世間では衆議院選挙がいよいよ盛り上がって?来ているようで、街中では毎日街頭演説、街宣の声を聞かない日が無いくらいです。
ひとつ心配事ですが、まさかとは思いますが、皆様はまたマスコミの洗脳誘導に引っ掛かってはいらっしゃいませんか?
今のマスコミは、
「政権選択の選挙だ!」
といっていますが、これは明らかに、
「二大政党制」
へ導くための洗脳報道です。
このブログをご覧くださっている方には、もうすでに釈迦に説法な話なんですが、自民党も民主党もすでに日本の伝統を護る保守政党ではありません。
自民党という難破船を選ぶか、民主党という泥船を選ぶかの違いであって、その隙間を埋めるように存在しているのが、創価学会=公明党、社民党、共産党という、日本の伝統が大変お嫌いな政党の方々です。
さらには、隙を狙ったように「幸福実現党」などという、如何わしいカルト政党まで出現している始末ですから、日本の政党でまともな政党は一つもありません。(國民新党はよくわかりませんので、除外します。)
こんな状況ですから、民主党はまず駄目だと批判して、まわりを見渡せばやっぱり自民党が一番まともだと考えてしまう気持を理解できなくもないですが、そんな事では何も日本は良くなりません。
単なる民主党批判だけでは何の建設的な議論もできません。
まず、日本古来からの文化伝統を護持し、民族精神的基軸として皇統を中心とした日本の國体を護ることが大前提にあって、国内の諸政策をどのように改善して行くかを考えられる、「国家観」が明確に打ち出せる政党でなければ、日本の政党としての要件は無いと思います。
どこまでも奴隷として扱って欲しいと懇願する占領憲法(日本國憲法)の護憲論者、
自分が自虐史観者である事に気付いていない占領憲法の改憲論者、
今生きている國民が何でも好きに決めて良いと勘違いしている傲慢な新憲法論者、
格好をつけているつもりが大変な勘違いをしている占領憲法の破棄(失効)論者
これらはすべて未だにGHQの手のひらで踊らされているに過ぎません。
こうして分類して行くとわかるのですが、世間で言われている「改憲派」というのは、占領憲法を護憲して改憲するという、単なる「護憲論」の仲間です。
つまり、日本共産党や社民党などの護憲論と、自民党や民主党などの改憲論などは、単なる「兄弟喧嘩」をしているだけに過ぎず、「どっちがマシか?」などという話ではなく、「どっちもどっち」なのであって、これらはすべて日本を悪い方向へ導く事には変わりないが、どんな色づけで悪くするかの違いしかありません。
ですから、現在のマスコミの報道も、「どっちも悪い奴らだけど、どっちの悪者が良いですか?」と、視聴者に洗脳しているだけであって、日本を良くしようとする視点は全くありません。
この手法は、営業職をしたことがある人はご存じの方もいらっしゃると思いますが、ダブルバインド法と言って、商品を買うつもりのない人に二者択一的に商品を勧め、半ば無理やり買わせる時によく使われる手法です。
商売においては特段悪い手法とは言い切れないのですが、それが政治に使われると非常に良くありません。実際はどっちも悪いのに、知らず知らずの内にどちらかの悪者に加担させられているのですから。
まだ、気づいていないだけなら良いのですが、確信犯的に「私は保守です!占領憲法を改憲(破棄)したいです!」という保守を偽装した方が割と多くいらっしゃいますが、これらはすべて日本をもっと悪い方向へ導きたい人たちです。
占領憲法の新無効論(真護憲論)は、伝統と豊かな文化溢れる日本を、今まで守り続けてきた祖先の「遺訓」を護るという、「謙虚」な態度の憲法論であり国家観です。
強者が一方的に弱者を支配する世の中では駄目です。(資本主義体制)
弱者が徒党を組んで強者を一方的に淘汰しようとする世の中でも駄目です。(共産革命主義)
しっかりとした両親が、力の弱い子供を広く包み込むような、
強者が弱者を護る日本でなくてはなりません。(皇国史観、大和主義)
今の占領憲法は国民主権主義を高らかに謳っています。これは上で書いた、資本主義という暴力による弱肉強食、「多数ならばそれが正義」という民主主義、共産革命主義という暴力思想を、明確に容認する憲法です。
そんな憲法なのですから、現在のような教育の崩壊、政治の腐臭、官僚の腐敗などが発生して当然です。そんな占領憲法を維持したまま、いくら「改革!改革!」と連呼しようとも、現在の国会で成立する法案はすべて「日本を悪くする」法案になってもおかしくはありません。
自民党 (占領憲法:改憲、新憲法制定)
民主党 (占領憲法:改憲、占領憲法護憲論)
その他 (占領憲法:改憲、占領憲法護憲論)
そうそう、最近よく周りに説明するんですが、今の国会に議席を保有している政党で、
「占領憲法を今のまま護りたいとする、護憲論の政党は無い」
という事を、よく認識しておいて頂きたいと思います。
議員個々の考え方の違いは多少ありますが、基本的には共産党も社民党も、「占領憲法の改憲」を目指している政党です。
理由は簡単です。
共産党や社民党などの、日本の伝統を否定する左派は、天皇制(革命用語)に反対ですから、占領憲法の天皇条項(第1章)を、本音のところを言えば削除したいのです。
彼ら左派が、やたらと「占領憲法9条を守れ!」というのは、自民党や民主党との憲法改正議論の中で、「憲法9条を改正させる代わりに、第1章の天皇条項を削除させる」という、政治的決着をつけるために撒いている「撒き餌」にしか過ぎません。
普段、「保守派」のように振舞っている自民党議員、民主党議員の中にも、このような折り合いをつけようと画策している者も隠れて存在しているでしょう。
彼らはその時の理由としてはこう言うはずです。
「憲法から天皇条項を削除する意味は、天皇を政治から出来る限り遠ざけるためだ。これは皇室を護るためになる。」 と。。。
どっかで聞いた事がある話ですね。そうです、幸福実現党が言っている事と同じことです。
幸福”降伏”実現党の正体(6月30日記事)
幸福”降伏”実現党の正体2(7月3日記事)
本来、我が日本での政治というのは、政(まつりごと)と言われるように、天皇が代々受け継いできた「祭祀」と密着した関係にあったものです。
というのも、あらゆる国家政策を実行するにあたり、國民の存在が不可欠である事は言うまでもありませんが、その國民の生命を維持するためには、当然「食べ物」が必要です。
そして、我が國は古くから「米」を主食としており、日本に風土に合った稲作が先祖代々受け継がれてきました。そんな五穀豊穣に感謝し祈りを捧げる祭祀として「新嘗祭」があります。
これは、我々日本人の祖先が本能的に、自然より勝る存在はこの世に存在せず、自らが今生かされている存在は先祖があるからであり、その先祖の存在も自然の存在なくしては存在しえない事を、理屈ではなく本能的に理解していたたからだと思います。
これに祈りを捧げ感謝する事が当然であると考えたため、新嘗祭のような祭祀が続けられてきたと、単純ながら私はそう思います。その時の時代背景に影響されて、いくつかの祭祀が少し途絶えてしまっていた事もありましたが、我が國においては今でもその意義の重要性は変わりがないと私は思います。
自然は理屈、理論では説明がつかないほど、人智では計り知れないものだと謙虚になるべきであり、その大斎主として、政(まつりごと)の中心として万世一系の天皇陛下の存在を我々は尊ばなければならないと思います。
「憲法から天皇条項を削除する意味は、天皇を政治から出来る限り遠ざけるためだ。これは皇室を護るためになる。」
などという、嘘八百に騙されないようにしましょう。
こんな事を言う者は、「國民主権なんだから、國民の多数決で決めた事なら何だって自由にできる!」という、傲慢で感謝の心を忘れた「人で無し」であると喝破しても過言ではありません。
そうなると、次の選挙に投票出来るのは、占領憲法を従来から否定している、西村眞吾代議士(改革クラブ)か、平沼赳夫代議士(平沼グループ)しかないでしょう。
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