スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 クリックお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング
 こちらもクリックお願いします。
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング

理性の崩壊と国民主権

本能と理性、家族と個人

 人気BlogRanking FC2BlogRanking.gif



 皆様、こんばんは!朝は寒いです。ですが、昼が割りと暖かいので、毎朝着て行く服装に迷いが生じている今日この頃です。

 これまでも何度も国民主権の危険性を書いてきましたが、さらに今日からも何回かに分けて書き記してみたいと思います。


 -----

 人間の営みの中でも、家族への愛情や恋人への恋愛感情などを見ても、デジタル思考的に「本能と理性」とを完全に峻別して、割り切れるものでは無い事は一々説明しなくとも、多くの方が理解できる事だと思う。

 そうした人間の精神作用を、本能のほんの一部分であるはずの「理性」のみを重視して、論理的、分析的に解明しようとする試みは、朱子学もそうだったように非科学的であり早晩に必ず破綻する運命となる。

  自己が編み出した観念論とは全く隔絶して、欲望の赴くまま生きたルソーの思想や、「個人の尊厳」を最大限尊重しなければならないとした、現代の人権論が基づく合理主義は、理性を善とし本能を悪とする単純な二元論であるから、これもその非科学性によって破綻するのは当然の帰結であることがわかる。

 これに対して、身分関係による、相続、世襲、扶養などの家族制度は理性的に獲得したものではなく、「婚姻関係」や「血縁関係」に基づくものであるから、合理主義の立場、制度などからは完全に否定されなければならないはずである。

 家族主義(本能論)と合理主義(理性論)と対比する時に判りやすいのが、「教育勅語」(本能論)と同じ明治時代の流行歌であった「デンカンショ節」(理性論)ではないだろうか。

 「デカンショ」の語源となったのは、「デカルト、カント、ショーペンハウアー」であると言われているが、これら欧米の合理主義による地道な啓蒙活動が、更に精神性に対する暴力装置として根強く洗脳され、現代社会に更なる矛盾を引き寄せている。

 合理主義による啓蒙思想とは、理性と感性の科学的思考を絶対視し、科学的認識の対象とならないすべての物を排除する事である。理性を善とし、本能を悪とする二分法に立ち、本能を抑制するものとして道徳などの社会規範を位置づける。

 直感鋭いこのブログの読者の皆様ならばお気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、現代における家族同士の殺し合い、親の子供殺し、子供の親殺しなどは、理性が崩壊して本能のコントロールが完全に出来なくなっている状態ではなのか、という事が推察出来るのである。

 子供は本能的に、身体的に力が弱いことを知っているため、自身の身に危険が迫った時には本能的に親の助けを求める。これに反して、親は自らに対して生命の危機が迫っている状況においても、「自分はどうなっても良いから子供だけは何とか助けなければ!」と、本能的にプリセットされている。これは、親と子供の両方が「家族主義」という本能に基づくものだからである。

 この反射的思考は現在の人権論と一緒に声高に語られる個人主義とは全く相反する思考であり、理性論を善とするならば、この反射的本能は悪だとしなければならないが、そんな事を否定する人間はこの地球上においてごく一部である。

 これらの事から判るのは、同じ本能である「自己防衛本能」よりも、「家族の防衛本能」が優位にあるという事であり、さらには「子孫の防衛本能」がそれよりも更に上位である事が理解できる。それが、一つの社会を形成する「村」を守る本能となり、「国家の自衛権」という国の家を守る本能へとつながって行くのである。国家の自衛権は、民族子孫の自衛権であると言い換えても過言では無い。

 家族と村、家族と町、家族と社会、家族と国家、国家と地球、これはすべて雛形理論であり極めて相似している形態であって、それは理性論に基づいて形成されてきたものではなく、例外なく本能論に基づいて形成されてきたものであるから、子供ですら本能で家族の助けを求めるにも拘らず、家族(本能)重視せず、個人(理性)のみを重視させる現代教育というものは、全く持って逆方向の教育を行っているということになる。

 理性の崩壊を食い止めるには、本能を鍛えるしかない。本能は理性では制御不可能であり、理性論に基づく合理主義教育は個人そのものの存在すら崩壊させる(自己防衛本能をも崩壊させる)、いわば「自殺推進教育」である。

 人体には60兆個もの細胞があると言われているが、一つの細胞を個人とし、身体全体を家族だと例えれば、個人主義というものは「身体はどうなっても良いが細胞が一番大事である」と言っているようなものである。一つ一つの細胞が大事である事に何ら疑問は無いが、その細胞よりも更に大事なものが身体全体(家族)である事に論理的思考を用いる隙は無い。

 1977年の日本赤軍による日航機ハイジャック事件で、犯行グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派などを解放するよう要求した時に、時の福田赳夫首相が言った言葉として「人命は地球よりも重い」などと語った。

 どんな手段を用いても、日航機内に監禁された乗客乗員らを救う事は最優先である事には異論はないが、地球が人命よりも軽いなんて事はありえない。人類が絶滅しても地球が生き残る可能性は大いにあるが、地球が崩壊して人類が生き残こる事などありえない。

 (次回へ続く)

 クリックお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング

 こちらもクリックお願いします
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング


 クリックお願いします。
 ⇒人気BlogRanking人気ブログランキング
 こちらもクリックお願いします。
 ⇒FC2BlogRanking.gifFC2ブログランキング

テーマ : 教育問題 - ジャンル : 政治・経済

Tag : 本能論 理性論 家族主義 合理主義

COMMENTS

No title

http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%8E%A8
貴方は、いわゆる男女厨という方ですか?

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。