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祭祀と宗教は相反するもの

祭祀(本能)と宗教(理性)は相対する

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 みなさま、こんばんは!今日も単刀直入に「祭祀と宗教」の違いを図で想像してみたいと思ひます。

 我々のような、伝統に基づく「真正護憲論(新無效論)」で、特に重要な點(てん)は、國體論(こくたいろん)を基軸とし、主權論(しゅけんろん)を完全に否定することにあります。

 そして、「國體とは何ぞや?」という事を端的に言へば、「"やまとことのは"で構成された祭祀の體系(たいけい)」、「我々日本人の本能の體系」と言えます。

 祭祀と宗教

 「祭祀の體系」とか「本能の體系」などと言はれても何の事かさつぱり分からない方も居られると思ひます。でも、それは難しい説明などをしなくても、今、このブログを見ている"貴方"自身の存在を確実に証明してくれるものは一体なんなのか?と考えれば、すぐに分かります。

 それは、「父」と「母」です。

 そして、貴方の父と母にもそれぞれまた「父と母」が存在します。これを二十六代遡ると、一億三千万人という現在の日本の人口に達するほどの「祖先」が存在していたことになります。

 これが、本当の人類普遍の原理、本能の體系です。日本国憲法と称する占領憲法の前文で書かれている「人類普遍の原理」などというのは明らかに誤りであることが分かります。

 自分が今こうして存在する事を誰に感謝すれば良いのか?

 こう考えたときにまず一番に感謝申し上げないといけないのは、貴方の「父と母」です。そして、その「父と母」を産んでくださつたそのまた「父と母」です。父と母の存在なくしては我々は存在し得ません。

 この「命(いのち)」を繋いで下さつた祖先に感謝申し上げる事が「祭祀の體系」です。

 あまりにも当たり前過ぎて、今まで気づかなかつた人も多いと思ひます。我々日本人は現代におひて、物質の豊かさばかりに傾倒するあまり、その当たり前の事すら忘れてしまつているように思ひます。

 その忘れてしまって出来た「心の隙間」に入り込んで来たのが、基督教(キリスト教)や仏教などの、一神教の宗教です。

 この一神教は、自らの兄弟よりも父母よりも、祖先よりも尊く偉い存在として「神や仏を信じなさい」と、信者に布教するわけです。しかし、それは人間の観念によって生み出された「幻想」にしか過ぎません。

 我々がこうして今この世に生を受けて存在するのは、父と母が居てくれたからであり、またその祖先が連綿と存在していたからであつて、感謝する対象、信じる対象を見間違えてはいけません。一神教という存在し得ない「幻想神」を信じてはなりません。

 上図でお分かりのやうに、我が國の「國體論」と、西洋の「主權論」の三角形は全く逆方向であり、全く意味も存在も異なる事が分かります。

 國體論では、逆三角形の上がすべて「八百万の神々」として存在する一方、主權論においては、ピラミッド型の三角形の頂点に存在するのが、「唯一神」であり「絶対神」であり「一神教」の神(ゴッド、God)です。

 (「八百万」とは、ここでは「たくさんの」という意味)

 西洋の國々が昔、絶対君主制度であつたのは、この唯一神を基にする観念の思想に基づいていたからです。(「王權神授説」王の權力は神から授かったものだから絶対的だという思想)

 そして、その王權神授説から生まれてきたのが、「國民主權」という幻想宗教です。

國民主權の構図

 この「國民主權」という観念を生み出した象徴的な事例としては「フランス革命」があります。このフランス革命では、国王の専制的な権力を打破するために、民衆が武装蜂起して王族・貴族を皆殺しにし、民衆そのものが權力を勝ち取つた。

 つまり、実力行使の暴力的な手段によつて王權から國民へ主權の移譲がなされたというわけです。これを当時は俗に「デモクラシー」と呼ばれていました。「デモクラシー」と聞けば、「大正デモクラシー」という言葉を思ひ浮かべますが、今でこそ「民主主義」というやうな呼ばれ方をしてはいますが、そもそも言葉の語源は「民衆(多数者)による革命」の事を「デモクラシー」と呼んでいたのです。

 しかし、実際はその民衆の中でも權力を掌握出来るのは、議会制民主主義による一部の「選ばれた民」、つまり「選民思想主義」に基づくものであつたため、この國民主權という観念自体がすでに論理破綻してしまつているのが現状なのです。(長くなりますので議会制民主主義の問題点に関しては期を改めて論じます。)

 そして、「天皇主權」という戦前には存在しなかつた観念は、日本國憲法の「國民主權」を守るために作られた、戦後の占領期から現代に至るまでの憲法学者による観念の産物です。

 歴史を紐解けばわかるやうに、宗教が関係する戰爭・紛爭には枚挙に暇がないですが、これまで「祭祀戰爭」などという爭いは存在した事はありません。

 それは当たり前の話で、上図(國體論)を見て頂ければ分かりますが、自分の祖先を祀る事という事は、誰かの祖先とどこかで人物が一致する事が当然あり得る訳ですから、他人の祖先祭祀を否定する、または攻撃するという事は、自分の祖先を否定し攻撃することにもなりかねず、自らの存在をも否定・攻撃することになりかねないからです。

 どこの誰かと祖先が一致しているかなど、現代の科学では証明しようとしてもしきれない訳ですから、常に誰かとは「血がつながっているかも知れない」という想ひにもなるというものです。

 しかし、現在の日本國憲法という占領憲法の「國民主權」という考え方ならばそういう訳には行きません。

 なぜなら、國民主權という事は、國民一人一人が主權を持っている、すなはち、それが武力的な權力であっても、金銭的な權力であっても、選挙権としての權力であったとしても、必ずAさんという主權者と、Bさんという主權者同士の衝突が必ず発生します。

 主權者(唯一神)対 主權者(唯一神)、キリスト教 対 イスラム教、という未来永劫続くであろうと思はれる爭いの思想・構図が「國民主權」であり、「主權論」の正體(しょうたい)なのです。ですから、我々のやうな國體護持を志す者にとっては、祖先祭祀を否定する主權論で創造された日本國憲法という名の占領憲法は「本能的」に拒絶反応が起こるわけです。

 (まだ続きます。)

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テーマ : 天皇陛下・皇室 - ジャンル : 政治・経済

Tag : 祭祀 神道 大日本帝国憲法 國體論 日本国憲法 占領憲法 主権論 天皇主権 国民主権 キリスト教

COMMENTS

こんばんは~おジャマさせて頂きます。

(最後の一文に反応させて頂きます。)
>>本能的に拒否反応 、、
でいえば、ちょうど宗教の話しも絡んでおられましたので、身近な体験から少しだけ申しますと、

私は20代前半から半ばあたり、特に一般的にカルト宗教といわれている、いや実際そうなのですが

身近に、
創価学会と統一協会が出没いたしまして(笑)しばらく雑音に悩まされておりました…
いや当時は、(笑)←なんて気持ちの余裕はあまりなく、たずねて来られるたび勧められるたびウザくてウザくて、
だけど身近な人間なだけに心も複雑になり、私自身も一番その時に慣れない心の病みが酷かったなぁと思い出されます・・・

最初は創価にうるさくされていたのですが、それからほんの数年後ちょうど統一協会がテレビで、
桜田順子や他芸能人が統一の合同結婚式や、壺だのなんだの詐欺的なことが問題のピークにあったころ
マスコミや世間の批判をさりげなく否定しながら現れまして(笑)、やや敏感な私は直ぐ
「統一協会に入ったんだ、信者か…〇〇ちゃん・・」と思ったんですね・・・・

でも私は今でしたらズバっというかもしれませんが、当時は直接聞けず気づいてないふりをしていました。
幼なじみの子なので私がどんなことに興味があるかもよく知っていて、話のつきない内容を延々振ってきましたが、
私は話の内容には楽しく耳を傾けながらも、カルトのお誘い的内容にシフトすると、そこは柔らかく交わしながら
早く電話を切りたいぞ、と思いながら仕方なく話だけ聞いて差しあげて、やっと電話終了~みたいなのが何日か続きましたね…

幼なじみとはいえ、その時はお互い都内に上京し就職してまして、互いにまだ直接行き来はなかったころでしたが
いきなり訪ねてくるようになり、幼なじみとはいえ違和感のある訪ね方でしたので、あまり感情としては宜しくなかったです…
留守でも訪ねきて見るからに怪しげな本を何冊か置いてくわけです、(笑)。

もう~なんていうか、超~身近な人間に創価学会と統一協会の信者に
ダブルで悩まされてしまった20代そこそこの小娘だった私はちょっとノイローゼにも当時なっていたと思います。

あ~困ったなぁ、どう退治しようか悩みましたが、ちょうど私は引っ越す予定があったので
引っ越しでウマイことめんどくさいトラブルなく逃げれたつもりですが
それを期にその統一協会に嵌まった幼なじみとは今でも疎遠です。

今の自分だったらば、うまく安全な距離はおきながら、情報収集のためにも付き合えているかも知れませんけれど(笑)!

ただ、創価学会の超~身近な人間とは親族関係なので、実はもっと、(笑)←どころでは話せない、もっとシビアな心境でもあるため難しい親族関係を抱えてしまってます。
親族としての表面的な付き合いという言い方が適切かどうか分かりませんが、そういうもの以外は、祭祀や國體というところから矛盾してしまいますが、心は疎遠関係にあります…。

でも時々、お墓に眠る先祖、曾祖父母や祖父母が、「(私に)どうにかしてくれ、がんばれ、」と投げ掛けてるような助けを求めているような声が聞こえた時もありましたが、
正直、民主党や公明党を批判し抗議はできるのに自分の親族となりますと…
矛盾してることは分かりますが、どう心の問題に向かい取り戻そう~、かと。
現実乗っ取られてしまった自分の親族のこともあり、よけいに民主党や公明党に対する批判と抗議に力が入らざるおえません、ということもあるのですが。


話を少し戻しますが、そのころは20代前半で若いですし、今より社会や政治に関しては‘ちんぷんかんぷん'で
完璧に俗にお花畑でしたが(今もまだまだですが)
なぜか宗教というものに、特にその創価や統一みたいなものは理屈では説明出来てませんでしたが、
胡散臭いものしか感じておりませんでした!
本能が拒否反応しか示しませんでした!!

dandy様も触れていたので思いだしました。
私は子供のころから感じてたことですが、宗教について勉強したわけでもないの(今もまだまだ勉強不足m(__)m)
“なぜ平和に敏感でありながら宗教に熱心な国に限って戦争を起こすのか?"
という疑問を足りない頭ながらに感じてもいました。

そういうものが漠然としてでも自分の中に強くあったので、たぶん創価にも統一にも入信することなく信者にもならなかった。
なるはずがないですが~

たまにこのような話をすると、「よく入信しなかったね~身近にいると無理やりにでも入れられちゃいそうなのに~」と感心されます、(笑)。

え、そうか~?なんで?って感じですが。アレルギーって時には大事ですねと思います。

祭祀や國體論など、このような言葉も勿論全く知らない時です(今でもまだまだですが)
私は気づくまでには遅すぎましたがm(__)m・・・やっと特に去年今年に入り様々な変化や問題に遭遇するにあたり、
本能で感じとっていたのは、dandy様が延べておられるような、こういう祭祀や國體論に関することだったのかと思っています。
(いやまだ私は間違っているところも沢山あると思いますが…スミマセン…)


長くなりました。何を書いてるか伝わってない箇所がございましたら申し訳ありません。
寝ます、オヤスミなさいませ~

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